ドラちゃんのおへや

アニメ制作なんてわけないよ

第9回「大山ドラの再放送を振りかえる(2)」

 前回に引き続き、大山ドラの再放送に関する話題です。
 今回は、大山ドラのエンディングで表示されていたスタッフのテロップ表示を取り上げます。通常、テレビアニメのエンディング・クレジットでは、その回に放送された話の脚本・コンテ(または絵コンテ、画コンテ、ストーリーボードなどと表記)・演出・作画監督の担当者が表示されます。アニメ制作には多くの人が関わっていますが、特にこの四つの職分が各話の主要なスタッフとして扱われており、それは大山ドラでも同様です。
 ただし、大山ドラでこの四つの職分がきちんと表示されていたのは新作のみで、再放送分は基本的に脚本とコンテの担当者のみが表示されていました。このような状況になった理由は、大山ドラにおけるスタッフ表示の変遷と深い関わりがあります。それを、これからご説明します。

 今回取り上げる「再放送のスタッフ表示簡略化問題」ですが、最初に結論を言ってしまいますと「元々は新作でもエンディング・クレジットで表示されるのは脚本・コンテのみで、再放送もそれにあわせていたから」なのです。
 これを説明するためには、大山ドラの放映枠が金曜19時になった1981年10月まで遡らなければなりません。これよりさらに以前の「30分番組のドラえもん」は、関東地区で月曜〜土曜まで18時50分から帯番組で放送されたものの再放送であり、当時は番組全体をまとめる監督はおらず、また作画監督はローテーションを組んで数人が担当していました。そのため、エンディングでは他のアニメと同様に、脚本・コンテ・演出・作画監督が表示されていました。
 それが、放映枠が金曜19時に移動して30分番組内で新作を放映するようになった時に、制作体制が大きく変わりました。「演出」担当はもとひら了、「作画監督」は中村英一の各氏が毎回の新作を全て担当するようになり、「演出」「作画監督」はメインスタッフとしてエンディングではなくオープニングで表示されるようになったのです。
 そうなると、エンディングで表示されるのは残った「脚本」「コンテ」のみになります。当然のように再放送分も新作に合わせて同様の表示形式になりました。この場合、新作1本+1981年10月以降に制作された話の再放送1本、と言う組み合わせの場合は新作も再放送も演出=もとひら了、作画監督=中村英一は共通しているので問題はないのですが、1982年1月〜1984年5月は帯番組時代の再放送2本+新作1本の組み合わせだったため、既に「再放送では本来担当していた演出と作画監督の名前が表示されない」問題が発生していました。
 このような表示形式は、30分丸々新作の番組であれば何ら問題はないのですが、再放送とのカップリングである事が多かった『ドラえもん』では無理があったと言えるでしょう。

 そして、1984年に番組の転機が訪れました。もとひら了氏が演出を降板し、代わって芝山努氏が「チーフディレクター」となりました。番組全体を見る監督職ですから、当然ながらこれはオープニングで表示されていました。同時に、原恵一・安藤敏彦の両氏が各話の演出処理担当となり、連名で「演出」としてエンディングで表示されるようになりました。
 このように、「演出」表示がエンディングに戻ってきたわけですが、それでも新作・再放送ともに各話のスタッフ表示は脚本とコンテのみの状態が続きました。「演出」は新作のスタッフとは別画面で表示されていたのです。これに関しては、言葉だけではわかりにくいので、実際のエンディング画面を見ていただきましょう。以下は、1985年1月1日放送「お正月だよ!ドラえもん」のエンディング画面です。

  
エンディング開始直後に新作の「脚本」「コンテ」を表示、開始後30秒頃に「演出」「文芸」をまとめて表示

 この状態は、1986年に入ってから演出が連名ではなくなり、各話の演出処理担当が明確に表示されるようになってからも続きました。その間、再放送も各話のスタッフは「脚本」「コンテ」のみの表示が続き、もとひら了演出時代の話が再放送されていても、それが表示される事はありませんでした。作画監督は、新作・再放送共に中村英一氏が担当していたので、概ね問題はなかったと言えます。

 新作分の各話スタッフ表示に「演出」「作画監督」が加わったのは、作画監督のローテーション制への移行後です。
 1991年6月21日放映分より、中村英一氏が「総作画監督」としてオープニングに表示されるようになり、それに伴って各話の作画監督には富永貞義・渡辺歩の両氏が新たに加わり、エンディングでは各話のスタッフとして「演出」「作画監督」も「脚本」「コンテ」と一緒に名前が出るようになりました。ここでようやく、新作に関しては他の多くのテレビアニメと同じ表示形式になったわけです。こちらも、参考のために実際の画面を見ていただきましょう。


1995年1月13日放送分より。一画面で脚本・コンテ・演出・作画監督を表示
(これは一例で、第一画面で脚本・コンテ・演出、第二画面で作画監督及び原画を表示する場合もあり)

 しかし、再放送については最後まで「個人名は脚本・コンテのみ」の状態が変わる事はありませんでした。表示画面そのものの制約があったのかもしれませんが、その気になれば新作同様に演出・作画監督の名前を追加するくらいの事は出来たはずです。「声の出演」でも再放送分のゲスト声優は一切表示されない状態が一貫して続いており、どうも手を抜いているように思えてなりませんでした。
 あるいは、制作会社のシンエイ動画でしっかりしたスタッフ情報の管理が出来ておらず、あえて脚本とコンテのみの表示を続けていたのかも知れません。実際に、現在DVDでリリースされている「ドラえもんコレクションスペシャル」では、チーフディレクターと各話の演出処理を混同したらしく、「演出 芝山努」と言う誤った表示をやたらと多く見かけます。
 いずれにせよ、再放送分については不十分なスタッフ表示が最後まで続き、1995年以降スタッフを意識して番組を観るようになり、さらには当サイトでスタッフリストを公開するようにまでなった私にとっては具合の悪い事でした。

 このような経緯があり、大山ドラでは新作と再放送におけるスタッフ表示が異なっていたのです。
 もちろん、アニメは脚本・コンテ・演出・作画監督だけで作られるものではなく、原画・動画のいわゆるアニメーターをはじめとして多くの人が関わっているのですが、とにかく再放送分で個人名が出るのは脚本・コンテに限られており、原画以下のスタッフは「作画」「仕上」としてまとめて会社名が出るのみでした。
 細かい事を言えば、大晦日スペシャルでは特番用中編の再放送で中村英一氏が作画監督を務めていない場合に限って作画監督が表示されていたり、逆に新作でも特番でエンディングが短縮版、作画監督が中村氏の場合は名前が出ない場合があったりと、例外はいくつも見られるのですが、これらはその時々のエンディング・クレジット担当者の方針が異なっていたのでしょう。
 この「細かいところ」も突っ込んで検証したいところですが、手元に録画がない昔の分はお手上げです。ともかく、これも新作+再放送の組み合わせで放送していた大山ドラならではの現象と言えるでしょう。

 今回は、これで終わりです。このような内容は、オープイングやエンディングのクレジットに興味のある方以外には退屈だったかも知れませんが、大山ドラのスタッフ表示の歴史はいつか取り上げたいと思っていましたので、あえて今回のテーマに選ばせていただきました。
 まだまだ、再放送絡みのネタは残っていますので、次回も「大山ドラの再放送を振りかえる」を続ける予定です。 (2009.9.3)