ドラちゃんのおへや

いつでも日記

VOL.1 藤子サイトの歴史と現在

第1回

 現在、インターネット上では藤子不二雄・ドラえもんに関係したサイトがどんどん増えてきて、様々な人が閲覧・参加をしている。そこで、一度インターネットにおけるドラ・藤子サイトの歴史をまとめて、また現状について考えてみたい。なぜこんな事を思いついたかというと、インターネットの予想以上の普及と、それに伴う最近のドラ・藤子系サイトの管理者や訪問者の低年齢化によって、たった数年前と現在とでは、ドラ・藤子系サイトを取り巻く状況が大きく変わってきているのではないかと考えるからである。
 さて、話はまず、私自身が初めてインターネットに触れた時の話から始めることにする。あれは、大学生の時だった。情報処理実習の一環として、メールやWWWブラウザ(当時は、まだMosaicだった)に触れてみたのが最初だった。これが、今から7年前の1996年。そして、私がドラえもんを扱ったサイト「ドラちゃんのお部屋」(当時は「へや」が漢字だった)を開設したのが、その年の7月下旬。開設の動機は、主に当時のドラえもんサイトへの不満だった。あの頃は、K氏のサイト「Doraemon's World」(現在は氏が多忙のため閉鎖)などの一部を除いては、私の求めるレベルを満たすコンテンツを用意したドラえもんサイトがなかったのだ。なにしろ、てんコミの収録作品リストすら見つからなかったくらいだ。そのため「自分自身でもデータベースとして使えるサイトを作りたい」と思って製作・公開したのが「ドラちゃんのお部屋」だった。藤子・F・不二雄先生が亡くなる、わずか2ヶ月前の事だった。そして、9月23日に訪れた藤本先生の逝去に伴い、ネット上でも大きな動きが見られた…。(2003/5/20)


第2回

 1996年9月23日。藤子・F・不二雄こと藤本弘先生が亡くなられた事で、それまでいくつかひっそりと存在していたドラえもんサイトが動き始めた。前回触れた「Doraemon's World」の掲示板には追悼の書き込みが殺到し、1996年内で300件に達した。3ヶ月ちょっとで300件と言う書き込み量は、当時としては非常に多かったのだ。他にも、M氏のサイト(現在休止中)では「さようなら藤子F先生」バナーが公開され、多くのサイトが追悼の意を込めてそのバナーを貼った。ちなみに、私のサイトでも、追悼文「藤子・F・不二雄作品の思い出 ー追悼 藤本弘先生ー」を公開した。皮肉な事ではあるが、作者である藤本先生の死が契機となって、インターネット上のドラえもんサイトが本格的に活動し始めたと言えるのではないだろうか。
 しかし、掲示板やチャット、クイズなど多くの参加コーナーが設けられていた「Doraemon's World」は別として、当時まだ掲示板のなかった私のサイトも含め、多くのドラサイトでは、その後は特に目立った動きはなかった。むしろ、インターネット上ではメーリングリスト(ML)の方が、藤子ファンの集う場所としては、当時は大いに賑わった。1997年6月に開設された「藤子不二雄ML」が、それである。私も含め、それまで藤子不二雄を語る場所に飢えていた人々が集結して熱い議論が交わされ、藤本先生の誕生日である12月1日までの半年間に1000通ものメールが流れた。私も、この時期は一参加者として積極的に参加して、藤子作品への思いの丈を語ったものである。また、10月には東京で初めてのMLオフ会も開催され、20人もの藤子ファンが参加した。それまでも「ネオ・ユートピア」や「月刊ぽけっと」の会合、それにニフティサーブなどのパソコン通信を通じて藤子ファンが集まる事はあったが、インターネットをきっかけとして知り合った藤子ファンが一堂に会したのはこれが初めてだった。藤子ファンダムの歴史に残る出来事と言っていいだろう。
 東京での開催だったために、残念ながら私は、この第1回オフ会には参加できなかった。しかし、私がオフ会に参加する機会は、案外早く訪れた。10月に続き、12月には名古屋にて「ドラえもん忘年会」として、事実上の第2回オフ会が開催されたのである(2003/5/31)。


第3回

 第2回の終わりで触れたように、私が初めて参加した藤子関係のオフ会は、1997年12月6日に名古屋で開催された「ドラえもんファン忘年会」だった。そもそも、「Doraemon's World」で初めに参加者を募ったので「ドラえもんファン」の忘年会と言うことになったのだが、実際の打ち合わせは主に藤子MLで進められ、参加者10名のうち9名はMLメンバーだったので、藤子MLのオフ会と言って差し支えないだろう。私はこの時、生まれて初めて自分と同世代か、それより上の年齢の藤子ファンと会って感動した…と書きたいところだが、実際は、このオフ会の少し前の10月25日より名古屋市南区の「シバタ劇場」という小さな映画館で行われていた「ドラえもん映画全作上映」(「のび太の恐竜」から、当時の最新作「のび太のねじ巻き都市冒険記」までを、ほぼ週替わりで2、3作ずつ上映)で、既に名古屋在住の藤子MLメンバーの方お二人とお会いしていた。とは言え、本格的なオフ会に参加したのは「ドラえもんファン忘年会」が初めて。「ドラえもん」や、その他の藤子作品について好きなだけ語る事が出来て、最高に楽しい時間だった。この時に初めてお会いして、未だにおつき合いを続けさせていただいている人もいる。私の人生で非常に重要な出来事だったと言える。
 話が個人的な内容になってしまったが、この名古屋オフ会は、私にとって非常に思い出深いものだったと言うことで、ご容赦願いたい。また、東京、名古屋と立て続けにMLのオフ会が開かれた事から、1997年当時はMLが藤子ファンの主な活動の場になっていた事がおわかり頂けると思う。
 さて、そもそもこの企画を始めた理由の一つとして、現在と昔のネット上での藤子ファン(と言うよりは、現在はドラえもんファンが主か)の年齢層の違いについて考察したいと言う考えがあった。その点については、藤子MLで1997年7〜8月に実施されたアンケートに、興味深いデータが出ている。その結果は、現在でもこちらで読む事が出来るが、これによると、アンケート回答者のうち未成年者は16歳の方がわずかに一人いただけで、他は全て20歳以上だった。このアンケートは藤子ML参加者の全員が解答したわけではないので、100%実情を反映しているとは言えないが、それにしても、回答者のほぼ全員が成人であると言う点から、当時のML参加者の年齢層の高さが伺える。
 さて、それでは未成年者、特に「ドラえもん」読者層のメインとなる小学生がネット上で活発に活動し、ついには小中学生によるドラえもんサイトが乱立するに至る今日までには、一体どういった経緯があったのか。その理由の一つとしては、ML以外に充実した藤子系サイトが多数登場した事で、低年齢者が参加しやすくなった事が考えられる。次回は、この点を中心に藤子ML名古屋オフ会以降の時期について考察してみたい。(2003/6/15)


第4回

 今回は、1997年末〜98年頃の動きについて見ていく。この時期で特筆すべき出来事と言えば、「藤子・F・不二雄 FAN CLUB」と、「藤子不二雄atRANDOM」の二つのサイトの開設だろう。前者は藤子ML名古屋オフ会開催日でもあった1997年12月6日に、そして後者は1998年2月15日に、立て続けに開設された。ともに、非常に膨大な情報量と、それだけに留まらない数々のコンテンツ、そして秀逸なデザインで非常に大きな話題となった。当然、多くのアクセスがあり、両サイトに設置されていた掲示板には非常に賑わった。特に「藤子・F・不二雄 FAN CLUB」では、1998年10月13日放送のテレビ番組「炎のチャレンジャー」(テレビ朝日系)にて、管理人の河井質店氏が「ドラえもん王」となった(「ドラえもん」に関する問題100問に正解)事で、それまで以上のすさまじい賑わいとなった。ともかく、この二つのサイトの登場によって、藤子MLに参加していない人にとっても、気軽にドラえもんや藤子作品について話し合える場が出来たと言えよう。
 また、ML以外でメールを用いたドラファンのコミュニケーションの場として、T氏が「ドラえもんメールマガジン」を1998年4月に創刊した事にも、触れておきたい。内容は、ドラ関連の新着情報と投稿が中心だったが、かなりのボリュームで読み応えがあり、最終的には3000人を超える購読者を獲得して、メールマガジンと連動したサイト「ドラえもん(仮)」も大いに賑わった。しかし、1999年10月発行分をもって「天使の玉ちゃん」のごとく何の前触れもなしに配信されなくなり、サイトの方も翌年にはアクセスできなくなってしまった。サイトとメールマガジンの連動という点で色々な発展の可能性があった企画だっただけに、残念なことだった。なお、現在発行されているドラ・藤子系のメールマガジンとしては、藤子ML管理人・玉生氏編集の「藤子不二雄メールマガジン」がある(1998年12月21日創刊)。
 以上のように、1997年末〜98年頃は、インターネット上でML以外にドラファン・藤子ファンが参加できる場が増えて、広がっていった時期だと言える。今回は取り上げなかったが、他にも多くのドラ・藤子系サイトが開設されている。ネットで活動する低年齢藤子ファンの増加も、この頃から始まったのではないかと思う。それについては、詳しくは次回に述べたい。(2003/6/29)


第5回

 今回は、予定を変更して、今まで書き忘れていた事項を補足しておきたい。この企画を初めて2ヶ月近くになるが、重要な事項をいくつか書き漏らしている事に、今頃になって気が付いたのだ。
 まずは、MLについて。ここまで、ドラ・藤子系のMLとしては藤子MLにしか触れていかったが、もう一つ現在まで続いているMLとして、その名もズバリの「ドラえもんML」がある。このMLがスタートしたのは1997年7月31日。藤子MLに遅れる事約2ヶ月である。なぜ今まで全く触れてこなかったかというと、このMLでは私は完全なROMで通しており、それ故に一度も投稿せず、またオフ会等のイベントに参加した事もなく、私にとっては印象が薄かったためである。
 しかし、藤子MLとほぼ同じ長さの歴史を持つだけあって、ネット上の藤子ファン活動の歴史を語るに当たっては、欠かせない存在だろう。何しろ、藤子・ドラ両ML開始当時に唯一、低年齢者の参加が多かったと思われるのが、このドラMLなのだ。話題を「ドラえもん」に限定した事で、低年齢者にも参加しやすくなったのだと思われる。ただし、小中学校におけるインターネット関連の教育が現在よりも遅れていた時代であり、またウェブ上での参加方法が簡単すぎたためにトラブルやいたずらが相次ぎ、初代管理人氏はたった4ヶ月でMLの廃止を宣言する事態に陥った。しかし、後を引き継ぐ人が現れて廃止の危機を乗り越え、現在は3代目管理人氏によって運営されている。
 次に、藤子系サイトについて。重要なサイトを二つも失念していた。「藤子不二雄GALLERY」と「藤子アニメだいすき!」である。両サイトともに、藤本先生が亡くなった1996年には、既に開設されている。前者は、掲示板がないためコミュニケーションの場とはなりにくいので失念していたのだが、後者は全くのど忘れ。昔から交流のあるサイトなので、恥ずかしい限りだ。ほぼアニメ専門のサイトだが、データベースが非常に充実している上に、初期から掲示板・チャットが設置されており、1996年当時としては貴重な藤子ファンの交流の場であった事は間違いない。
 また、すでに姿を消してかなり経つが、個人的に印象的だった藤子系サイトを、ここで一つ紹介しておきたい。それは「ドラえもんだらけ跡地」である。まずはサイト名から説明しなければならないが、そもそも、第3回で述べた藤子ML名古屋オフ会の時に、参加者全員がドラえもんの絵を描いてみるというお遊びがあった。せっかくだからホームページを作って、それらの絵を参加できなかったMLメンバーにも見せようと言う事になり、参加者の一人だったA氏が開設したサイトが「ドラえもんだらけ」だったのだ。そのサイトが、著作権に配慮して短期間で閉鎖され、代わって登場したのが「ドラえもんだらけ跡地」と言うわけである。このサイトは、掲示板の書き込み件名でしりとりをする「しりとり変身カプセルで大混乱!!」や、ジャイアンの名台詞(?)「ンナロ」を研究するコーナー&掲示板など、とにかくコンテンツがユニークで、参加者が限られてはいたが、しりとり・ンナロ共に、掲示板には濃い書き込みが続々となされて、異様な盛り上がりを見せていた。ンナロ研究は途中から対象を拡大して「ンナロ&藤子作品オモシロ研究」となり、私も「魔界大冒険におけるもしもボックスについての考察」で参加した。残念ながら、管理人のA氏が消息不明(?)となり、現在はもう存在しないが、目の付け所次第で藤子系サイトの可能性はまだまだ無限だと感じさせてくれるサイトだった。
 以上を、第4回までに触れておくべきだった事項の補足としたい。そして、次回はいよいよ本連載もまとめに入る。(2003/7/6)


第6回

 この連載もいよいよ最終回。題に「歴史と現在」と付いているにもかかわらず、これまでは昔を振り返ってばかりだった。前回までで、ネット上の藤子関係の動きについては、1998年までを追ってきたわけだが、1998年末以降については「藤子不二雄atRANDOM」の「フジコ日記通信」で、ネット上についても、そうでないものも、藤子関係の動きはほとんど取り上げられているので、今日に至るまでをお知りになりたい方は、そちらを参照されたい。また、当サイトの掲示板「らくがきじゅう」の過去ログも、1998年9月の掲示板開設当時より全て保存しているので、そちらもご覧いただくと、ネット上での藤子関係の動きがよりよく分かるだろう。そんなわけで「過去」はここまでとして、今回は藤子サイトの「現在」について語ってみたい。
 さて、藤子サイトの現状だが、1998年頃と比べると、本来の「ドラえもん」の対象読者層にあたる小中学生(以下「低年齢層」)が運営する「ドラえもん」ファンサイト(以下「ドラサイト」)が、非常に多くなってきたように思う。1998年頃には、まだホームページの開設・運営は低年齢層には敷居が高かったのだろうが、最近は無償ホームページスペースも増えたし、簡単な制作ツールも用意されており、小学生であっても容易にサイトを開設できるようになり、ドラサイトの増加につながったのではないだろうか。また、学校でインターネットについて学び、それがきっかけでホームページを作るようになったというケースも考えられる。
 いずれにせよ、現在、低年齢層の作ったドラサイトの数はかなり多い。私も、いくつかのサイトは定期的に巡回しているが、とても全部はフォローしきれていない。若いドラファンの方々が運営しているサイトの多くは「ドラえもんウェブリング」に登録されているので、具体的にどのようなサイトがあるかは、そちらをご参照いただきたい。
 個人的には、小中学生がドラサイトを運営する事自体は、積極的なファン活動の一環であり、いいことだと思う。ただ、そういったサイトの掲示板を覗いて見ると、大抵の場合は同年代らしき人たちが常連として集まっており、大人のドラファン・藤子ファンには参加しづらい雰囲気がある。また、これは個人的な感想だが、テレビアニメから「ドラえもん」のファンになって、原作漫画の方には手を出していないと思われる人が、ちらほらと見受けられて、残念に思ってしまう。そう言った人に「原作は面白いので、ぜひ読んでください」「他の藤子作品も、ドラ同様に面白いので読んでみてください」などと言いたくても、前述のように、掲示板の雰囲気として大人には参加しずらいので、実行出来ないのだ。
 思えば、私が当サイトを始めた頃には、藤子系どころかドラサイトですら数えるほどしかなかったのだが、今は前述のウェブリングに登録されているサイトだけで100を超える。そうなると「ドラえもん」を好きな子供が初めてインターネットに触れたとして、一体どのドラサイトを訪れればいいのか迷ってしまうのではないだろうか。テレビアニメのEDでも紹介されている公式サイトには行くとしても、公式からファンサイトへのリンクはない。と、なると検索エンジンでヒットしたサイトに行く事になるだろう。Googleで「ドラえもん」で検索すると、トップには公式サイトが来るが、その後にはサイト名に「ドラえもん」と入っている有名ドラサイトが続く。個人的な感想だが、検索で上位に来るサイトの掲示板を見ると、想像通り低年齢層の方の書き込みが多いように感じる。
 もちろん、小中学生でも、そうでなくても、一番話が合いそうな同年代の人とドラについて語り合いたいと思うのは自然な事だろう。問題は、その次の段階だ。アニメドラから入って、次に原作に触れて、更にドラ以外の藤子作品にも触れたその先には、年齢の枠を超えてもっと色々な藤子話をしたいと言う思いが生まれる時が来るのではないだろうか。「らくがきじゅう」の常連となって下さっている低年齢層の方も、そう言う過程をたどったのではないかと推測している。
 ただ、気になることもある。これは私自身にも覚えがあるが、中学生くらいになると自分の事をもう一人前の大人だと思ってしまいがちである。しかし、はっきり言って中学生は、実際にはまだまだ子供だ。これは、人生経験が絶対的に少ないので、仕方がない事だと思う。しかし、色々な年齢層の人が書き込んでいる藤子サイトにおける中学生の方の書き込みを見ると、無理に背伸びをして大人っぽく書き込もうとしていると思われるものが、少なからず見受けられる。また、逆に、掲示板への書き込みが他人との交流であるという点について、意識が足りないのではないかと感じられる、「子供丸出し」の書き込みもある。まあ、精神年齢について言えば、中学生に限られた問題ではないのだが、いずれにせよ、個人的には歓迎したくない傾向である。
 これは、子供と大人のどちらが悪いと言うような問題ではない。ドラや藤子作品に触れた時期も、触れ方も異なるのだから、作品に対するスタンスは違って当然で、また大人の方が社会に出ている分だけ、常識を身につけているのは当たり前の事である。しかし、今後もおそらくネット上では低年齢層の「ドラファン」(=藤子ファン?)が増えていく事だろう。そう言った人たちと、どう付き合っていけばいいか。最適な方法は、私には分からない。だが、できれば掲示板などでの交流を通じて、ドラだけでなく、それ以外の藤子作品の素晴らしさ、面白さについても伝えて、藤子ファンの裾野を広げていくことが出来れば、これ以上嬉しいことはない。低年齢層の方々も、無理に背伸びをせずに自然体で、御自身の藤子作品に対する思いを語っていただければ、と思う。
 私自身の現状に対する考えは一通り書いたので、これで本連載はひとまず終了させていただく。1996年から7年間のネット上での藤子関係の動きを追い、過去と現在、そして未来について考えてみたわけだが、いまから更に7年後の2010年には、果たしてどうなっていることだろう。自分のサイトが存続しているかどうかも分からないし、それ以前にアニメの「ドラえもん」が終わっているという可能性だってないとは限らない。まあ、とりあえずはタイムマシンが発明されると言う5年後を楽しみに待つとしよう。(2003/9/6)(完)


追記・おわりに

 以上が、約3ヶ月に渡って日記で不定期連載した「藤子サイトの歴史と現在」の全てです。そもそも、この連載を始めたきっかけは、掲示板で荒らしや意味不明な書き込みなどの行為が増えて、なぜそのような状態になってしまったのだろうと疑問に思ったことがきっかけでした。
 考えてみれば、私がインターネットに初めて触れた1996年頃は、そもそも「荒らし」という行為自体が見られるほどに掲示板が活発なドラ・藤子系サイトはほとんど有りませんでした。「荒らし」が問題化すると言うことは、それだけ多種多様な年齢層の人がサイトを開設し、また訪れるようになったことの現れでしょう。しかし、あちこちのサイトで「荒らし」が頻繁に見られる現在の状態が、ネット上の藤子ファンダムにとって最良であるとは思えません。私は自分のサイトだけで手一杯ですが、何とか他のサイトとも協力して、藤子サイトの健全化を図りたいと考えています。
 また、話が少し変わりますが、低年齢層の人たちは、「ドラえもん」に限らず、色々な漫画に触れてゆくでしょう。その過程で、個人的にはぜひ「ドラえもん」以外の藤子作品にも、積極的に触れていって欲しいと思います。もちろん、その上で、藤子ファンとして深みにはまっていくかどうかは、それぞれの自由であることは言うまでもありません。
 しかし、実際に、「藤子不二雄」にはまってしまった人間の一人としては、さらに一人でも多くの仲間が欲しいというのが正直な思いです。昔は、こんな事をわざわざ書かなくても「コロコロコミック」を毎月読んでいれば、自動的に多くの藤子作品に触れる事ができたものですが、それも遠い昔の話となってしまいました。
 繰り返しになりますが、私としては当サイトの運営を通して「ドラえもん」だけでなく、他の藤子作品の魅力をも、若い方々に伝えていきたいと思っています。今はまだ、そのような形にはなっていませんが、いずれ何らかの形でそう言った狙いのコーナーを作るつもりですので、ぜひ今後ともよろしくお願いします。