ドラちゃんのおへや

いつでも日記

VOL.3 藤子イベントの思い出(2000年)

 最近は、藤子ファン活動があまり活発とは言えず、ファンが集まる機会はそれほど多くはありません。
 自分の活動してきた中で振り返ると、「藤子不二雄メーリングリスト」の活動を初めとして、20世紀末から21世紀へと変わる頃が、オフ会などが最も盛んな時期だったと思います。日記を読み返してみると、特に2000年は「ドラえもんオールナイト」の時を含めて3つのオフ会が開かれており、記録が残っている中では藤子ファンイベントが一番多く行われていました。
 少しでも当時の盛り上がりを知っていただきたいと思い、今回は2000年の3つの藤子ファンイベントに参加した時の日記を再掲します。


- 大人だけのドラえもんオールナイト -

★2000年3月9日(木)

 23時過ぎに名古屋駅に到着し、ホームで23時41分発の「ムーンライトながら」到着を待った。時間を気にして、早く来すぎてしまった。今日は雪が降るほどの気温なので、かなり寒い。
 23時30分頃、H氏とばったり出会う。氏も同じ目的で、ながらに乗りに来たのだ。私は、ながらは今回が初めてだったので、H氏に色々とこつを教えて頂いた。40分頃、列車に搭乗した。


★2000年3月10日(金)

 0時をまわったが、まだ列車は出発しない。笠寺駅付近で人身事故があったためらしい。結局、1時間半以上遅れて出発した。時間が遅れすぎたために列車は東京駅まで着かず、6時頃に神奈川県の大船で降ろされてしまった。しかし、元々の東京駅到着予定時刻だった4時40分に着いても早すぎて困っただろうから、かえってちょうどよかった。
 今日は観光予定のH氏とは大船で別れ、私は東京へ向かった。7時前に東京駅に到着し、朝食をとりつつ、うとうととしてしまった。気が付くと9時をまわっており、目的だった国会図書館への到着は9時50分になってしまった(開館は9時30分)。

 今日は、以前に来館した時にコピーしきれなかった「小学一年生」連載初期分の「ドラえもん」を中心に借りだした。また、並行して「モジャ公」連載時の「週刊ぼくらマガジン」を借りて、持参の愛蔵版との違いを調べた。予想通り「地球最後の日」は冒頭部分が単行本でかなり削られていることが確認できて、長年の謎が解けてすっきりした。
 依頼分の「ドラえもん」コピーが出来上がったのが16時過ぎだったため、そのまま退館した。今日は「ドラえもん」のコピーがページ数の少ない作品中心だったため、全体のページ数としてはあまり効率がよくなかった。その後は、食事をとったり古本屋を何軒かまわったりして時間をつぶし、21時半頃新宿に着いた。

 今回のドラえもんオールナイトは整理番号順の入場だったので、昨年のように延々と長い間並ばなくて済み、助かった。知り合いの方と話をしているうちに22時になり、列を作って入場開始。「いい場所に藤子MLメンバー用の席を確保せよ」と言う指令(?)が出ていたため、整理番号2ケタの私もその作戦に加わる羽目になってしまった。首尾よく、関係者席のすぐ後ろ2列の確保に成功。ドラ声優の方々のすぐ近くで予告編大会を見られたのはよかった。


★2000年3月11日(土)

 オールナイトの映画は、まずは新作「ザ・ドラえもんズ ドキドキ機関車大爆走!」「おばあちゃんの思い出」の2本。「ドラズ」は監督が替わって、これまでに比べて多少メリハリがついた気がしたが、基本的には相変わらずの内容。「おばあちゃんの思い出」は、やや話の引き延ばし方が露骨だったが、全体的なムードはまあまあよかった。ただ、幼児ののび太たちの声が全員違うのは、さすがに違和感があった。
 そして、芝山努監督のトークの後にメインの長編新作「ドラえもん のび太の太陽王伝説」が上映されたのだが、作品に関するコメントは控える。なんと、最初の30分くらい見たあとは眠ってしまったのだ。気が付いたら終わっていて、まわりで感想が交わされていた。昨日の寝不足が響いたようだ。

 さらに旧作5本の上映に続くのだが、こちらは当初の予定通り、ほぼ全てを睡眠時間にあてて、オールナイト終了のアナウンスで目が覚めた。結局、今年は映画上映中の半分以上寝ていたことになる。「太陽王伝説」は、マンガ版とあまり変わらない展開のようなので、もう一度見直そうかどうか悩むところだ。

 その後は、恒例の藤子MLオフ会。昨年と同じ店で、なぜか席まで昨年と同じだった。さらに、両隣も昨年と同じ人たち。参加メンバーも昨年とあまり替わらないからなあ。その席で、fさんより大変貴重なものを頂き、感激した。この詳細については控えさせていただく。その後、カラオケ・ゲームセンターなどをさまよいつつ少しずつ人数は減っていき、16時過ぎに最終的なお開きとなった。
 その後は一人で、神保町や秋葉原を廻ったが、特に収穫はなかった。夕食を済ませた時点で20時半だったため、ムーンライトながら発車まで時間をつぶさねばならず、結局BOOK OFFにいた。


★2000年3月12日(日)

 帰りは、予定時刻に列車が出発した。疲労が限界に達していたため、電車の座席でも簡単に眠ることが出来たが、4時半頃に目が覚めて寝過ごしたと勘違いし、一度電車を降りてしまった。停車時間が長かったのでもう一度乗り込むことが出来たが、危ないところだった。寝ぼけていると何をするか自分でもわからず、恐ろしい。
 その後も電車は予定通りに動き、6時40分に帰宅。まだまだ眠たかったので、メールと掲示板のチェックを済ませた後は、布団もひかずに眠ってしまった。

 今回の上京の顛末は以上。「太陽王伝説」の後半を見逃したことは、眠ってしまった自分自身に対して情けなさを感じ、悔やまれるところだ(内容は、かなりどうでもいい)。
 それにしても、3日間一度も布団で寝ないとこれほど疲れるとは思わなかった。やはり、歳を取ったのだろう。


- 藤子ML福岡オフ会 -

★2000年3月17日(金)

 藤子不二雄メーリングリストの福岡オフ会に参加してきた。
 今回は、青春18切符を使い、普通列車で丸一日かけて名古屋から福岡まで行く貧乏旅だった。以下、そのルートを書いておく。

 名古屋6:40→米原8:07
 米原8:25→姫路10:44
 姫路11:04→岡山12:25
 岡山12:42→広島15:13
 広島15:25→下関19:29
 下関19:45→小倉20:03
 小倉20:14→博多21:23

 以上。電車の中では、時間をつぶすために本を読んだり、ゲームで遊んだり、窓の外を眺めたり、眠ったりしていたが、ほとんどの区間で座ることが出来たのは運が良かった。
 何はともあれ、私にとっては九州初上陸なので感慨深い。博多駅前のカプセルホテルで一泊して、明日に備えた。


★2000年3月18日(土)

 一日目。この日は朝9時頃起床。やはり、一日電車の中でかなり疲れたようだ。オフ会の待ち合わせは13時なので、時間はたっぷりある。のんびり行こうと、博多から天神まで歩いた。途中、古本屋に入ったり食事をしたりして時間をつぶし、12時50分頃待ち合わせ場所へ到着。ほとんどの人がすでに来ていた。
 そのオフ会だが、初めのうちはF展観覧やまんだらけ見学など関東でのオフ会と変わらないようなルートだった。その後は飲み会。私は席がほぼ真ん中だったので、たくさんの人と話が出来てよかった。私は基本的に人見知りするので、初めから周りに人が多い方が、話がしやすくてありがたい。
 続いて、中洲の屋台でラーメンを食べて、ようやく福岡ご当地の雰囲気を味わうことが出来た。ラーメンもうまくて満足。それにしても、屋台でVISAカードが使えるとは思わなかった。
 その後、タクシーでホテルへと行った。部屋にはAV対応NEWファミコンがセッティングされており、藤子ゲーム大会開始…のはずが、なぜかクソゲー・バカゲー大会に。「元祖西遊記スーパーモンキー大冒険」「たけしの挑戦状」「カケフ君のジャンプ天国スピード地獄」「星をみるひと」「アトランチスの謎」「シャーロック・ホームズ 伯爵令嬢誘拐事件」など、ある意味非常にツボをついたゲームの数々に、午前3時過ぎまで付き合ってしまった。


★2000年3月19日(日)

 オフ会二日目。7時半頃に目が覚めた。日曜日なので、当然のように九州朝日放送にチャンネルが合わせられ、集団で某ライダーや某どれみ♯を観ていた。私を含めて録画予約している人も多かったが、それでも結構真剣に観てしまった。

 この日、最初の訪問地は福岡ドーム。目的は「暖手の広場」での藤子両先生との握手だった。F先生は手の開きが小さくて握手しにくかったが、やはり感動した。A先生の方ががっしりして大きかったように感じた。
 朝から降っていた雨もこの頃上がり、徐々に晴天になった。ドームで食事をした後、「ドリーム・オン・ドラえもん」の開催されている「かしいかえん」へと向かった。同じイベントが地元の愛知県犬山市で開催されたときは結局行かなかったので、いい機会だった。
 その「かしいかえん」だが、いかにも「田舎の遊園地」と言う感じで、実に味わい深かった。「ドリーム・オン・ドラ」よりも、その後に数人で入った「ミステリーハウス」の方がインパクトがあって印象深い。要するに乗り物で移動するお化け屋敷の一種だが、中がとことん暗くしてあって「何がなんでも怖がらせるぞ」という意欲が伝わってきた。その割に換気扇が丸見えなのが微笑ましい。ほかに、案内図にあった「忍者手裏剣道場」にも興味を惹かれたが、地図に書かれた場所に行ったら、すでに存在していなかった。実に残念だ。

 元々はここで解散の予定だったが、みんな帰りの飛行機や電車まで時間があったので、天神に戻り夕食にもつ鍋を食べた。ここでは、主に話題は藤子以外のアニメの話が多かった。もつ鍋は初めてだったので山盛りのニラにはびびったが、これもなかなかおいしかった。
 食事の後は、店を出て解散。今回のオフ会は非常に盛りだくさんの内容で、名古屋から丸一日かけて来た甲斐は十分にあった。その後、おみやげを買うために、博多へ向かう皆さんと別れた。親から「陣太鼓」を買ってこいと言われたのだが、ダイエー地下の名産品コーナーでは見つからず、とりあえずバスで博多駅へ戻った。結局、陣太鼓はキヨスクであっさり見つかった。
 そして、肝心の帰りの電車が問題だった。「ムーンライト九州」に乗れば翌日10時には家に着くので、混み具合で乗るか否かを判断しようと思ってとりあえず入場券でホームに入ったが、発車30分前の段階ですでに100人以上の列が出来ていた。自由席は2両。座るどころか、立つスペースも怪しい。
 無理して混んだ電車に乗るよりはゆったり座って帰りたかったので、ムーンライト九州はパス。翌日4時56分発の始発に乗るために、夜の町を転々として夜を明かした。

 翌日、始発列車に乗車。あとは、17日と同じく一日中電車の中だった。違うのは、ほとんど眠っていたことくらいだ。乗り換えが多いのであまり本格的には眠れないのがつらかった。
 往路よりも乗り換えが多く、家にたどり着いたのは19時半頃だった。結局、福岡までの往復だけでほぼ二日使ってしまった。しかも、帰りの計画がかなりいい加減だったので、オフ会でご一緒だった皆さんに心配を掛けてしまった。全く恥ずかしい。今度遠方のオフ会に参加する時は、飛行機でラクラク行きたいものだ。


- 第3回・藤子ML高岡オフ会 -


★2000年9月9日(土)

 「夢王国祭2000」に合わせて開催された、第3回藤子ML高岡オフ会に参加するために、富山県高岡市を訪れた。
 今回は、愛知から高岡まで、藤子ファン仲間の某氏の車に同乗させていただいた。電車より速く着く上に費用も安く、氏には感謝感激だ。それに、東海北陸道+国道156号で岐阜・富山の山中を突っ切るコースは、なかなかダイナミックで面白かった。このような所を通ると、日本の大部分は山なのだと改めて実感させられる。

 いつものことなのだが、高岡オフ会は藤本先生の出身地ならではの企画が実に充実している。今回の目玉は何と言っても、「地元ならではのゲスト」の方(事情により名は伏せる)から、藤本先生に関する話をお聞きして、貴重な写真・手紙を色々と見せていただいたことだ。特に、藤本先生に関する話は、他では絶対に聞けないであろう事実も明らかにされて、時を忘れて聞き入ってしまった。
 夜は、いつものパターンだと徹夜で色々と語り明かすのだが、今回は皆さん疲れていたのか、午前1時頃には眠ってしまった。私も前日寝不足だったのでちょうどよかったのだが、この点だけは少々物足りなかった気もする。それにしても、会議室に泊まるとは思わなかった。よっぽど他の部屋が空いていなかったのだろう。


★2000年9月10日(日)

 この日は、午前8時半頃に起床。朝食の後、宿泊場所の「健康ランド アラピア」を発ち、夢王国祭2000が開催されている高岡サティへと向かった。
 その後、昨日ゲスト氏からお聞きした、藤本先生の少年時代の行きつけの本屋・M書店(「まんが道」でお馴染みの「文苑堂」ではない)などを散策した。このM書店は非常に小さくて品数も少ないのだが、ところどころにある古い本の醸し出す時の止まった感じには、趣がある。何しろ「名犬ジョリイ」のアニメ絵本や、「スターソルジャー」の攻略が載った雑誌が何気なく置いてあり、本当に新刊書店かと疑ってしまうほどだ。「4年前の「ビッグコミックオリジナル」」のような、中途半端に古い本も味がある。

 その後はサティに戻り、藤子MLメンバーの二氏が「先生」として藤子マンガに関する疑問に答えると言う、ある意味豪華な企画「マンガ王何でもQ&A」を見物した。客席にはそれなりの数の子供が座っていたのだが、質問が全然出ないお寒い状況で、仕方なく司会進行役の二人が無理して質問をくり返す始末。正直、見ていて結構つらいものがあった。

 そのイベントも無事(?)に終わり、午後3時頃には名古屋へ向けて出発した。午後8時頃、帰宅。家について食事をとると猛烈に眠気が襲ってきて、午後9時過ぎには眠ってしまった。一昨日の寝不足が尾を引いていたのだろうか。
 それはともかく、今年も充実した2日間だった。訪れるたびに度に新鮮な驚きがあり、高岡行きはやめられない。幹事のMさんには、心から御礼を申し上げたい。今回、第3回が開催されたことで、高岡オフ会はこの時期の毎年恒例行事になったと言っていいだろう。早くも、来年の第4回が楽しみだ。


おわりに

 以上で今回は終わりです。あくまで私自身の行動の記録ですので、オフ会の雰囲気などはあまりよく伝わらないかもしれません。それでも「昔、こんな事があったんだ」程度に思っていただければ幸いです。

 藤子関連のイベントが開催された時は、藤子ファン同士顔を合わせるよい機会ですので、昔も今もイベントに合わせてオフ会が開催される事は多いです。「藤子・F・不二雄の世界展」が全国各地で開催されていた時は、それを追っかけるようにしてオフ会も行われて、北海道の釧路でファンが集まった事がありました。残念ながら、この釧路オフには、私は参加できませんでしたが。
 しかし、藤子ファンの集まりが今よりもっと活発だった時期には、藤子イベントでのオフ会に加えて、特に何もイベントが無くても、名古屋・大阪・横浜など全国各地でオフ会が開かれていました。今回の日記に含まれる福岡オフ会もその一つで、地元在住者よりも関東など他地区からの参加者の方が多く集まっていた事から、当時の藤子オフ会の盛り上がりが伺えるかと思います。
 また、高岡オフ会は2000年で既に第3回を数えており、当時は毎年9月に高岡で開催されていた「夢王国祭」に合わせての恒例行事となっていました。本文中でも触れておるとおり、高岡オフ会ではF先生に縁のある方からお話を聞いたり、出身学校や昔の住居跡地を訪ねたりと、先生の地元ならではの内容であり、毎年の楽しみでした。

 こうやって昔を振り返ると、どうも現在は私自身を含めてファンの熱気・エネルギーが弱まっているようで、寂しく思います。オフ会を開催・参加されていたメンバーの年齢が上がり、なかなか活発には動けなくなってしまったせいもあるかと思いますが、今回昔の日記にあらためて目を通して、これからもこのような機会をを持ちたいものだと思いました。
 昔からの藤子ファンも、最近ファンになった若い方も、みんな一緒になって藤子話に興じ、楽しい時間を過ごしたいものです。