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昭和40年代に小学館の学習誌でドラの原作を読んで育った世代の自分は、モーツァルト西園寺さんは自分と同じくらいか上の世代の人で、今風に言えば場の空気が読めないか、そうでなければ、空気がどうであれ自分流の言葉やペースで書きこむことにこだわっている人では」と思っていました。(「西園寺」は公家の家名で今の時代では珍しい苗字ですので、これをハンドル名にと考えるのはそれなりの年配の世代だから、と思われます) そして、他の方の数々のレスによって「この掲示板の空気」みたいなものを少しでも感じておられたとも思っていました。
しかし、1076の「善守者、敵不知其所攻」を引用した書きこみを見て、「結局、わかってらっしゃないのかな」と思っています。
「善守者、敵不知其所攻」は、約2500年前の現在の中国の兵法書、つまり戦争での兵の用い方を説いた書物にある一説で、口語訳では「上手に自分を守る人というのは、どこを攻めればいいのかを敵にわからせない人だ」となるようです。
この一説とともにモーツァルト西園寺さんの過去の投稿を読むと、モーツァルト西園寺さんは自分への指摘を「攻撃」とみなし、「難解、抽象的、一般的でないなどの語句や表現を使って読みづらく文意の伝わりにくい文章にして、攻撃をかわし封じ込めようとしている」ように見えてきます。また、かわすばかりで「なぜ指摘されなければならないのか」を真摯に考えているようには感じられません。
自分の知的な興味や好奇心によって難解だったり一般的でない知識や表現を習得することは個人の自由で、それらを使うことも個人の自由でしょう。ただ、コミュニケーションというのは自分の言わんとしていることを相手に理解してもらって初めて成り立つと思います。「あなたの言っていることはわかっていますよ」というような素振りをしながら、結局最後は自分の言い分を並べ立てて終わりでは、相手はコミュニケーション、交流などしたいとは思わないでしょう。
もし、本当にモーツァルト西園寺さんが自分より上の世代の方だとしたら、自分は大変無礼なことをしていることになるでしょう。でも、ここのように10、20代の若い世代の人たちが集まると思われるサイトでの年配の世代というのは、お手本とまではいかなくてもそれなりにきちんとした参加者であるべきだと自分は思っていますので、あえて厳しいことを書かせていただきました。
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