この「アニメ 旧ドラえもん 大研究」を公開して以来、実際に旧ドラをご覧になっていた方を中心に、たくさんの情報をいただきました。そのうち、各話の内容については「ストーリー紹介」に掲載させていただきましたので、ここでは、それ以外の色々な情報について、お寄せいただいた情報を、ご紹介します。
OP・EDアニメの内容
サブタイトル表示画面
ドラえもん役以前の野沢雅子
わずかな間の再放送
日本テレビ動画とフィルムの行方
「ネコあつめすず」は旧ドラで本格デビュー
新番組・最終回の新聞記事
まずは、番組の「顔」とも言うべきOPアニメを、みなさんからいただいた情報を元に、出来るだけ再現してみました。同じ場面について複数の情報をいただいた場合は、共通する部分を優先させて、異なる部分はカッコ内に付記しました。
タイムマシンに乗ってくるドラえもん
(背景は、暗闇の中にひん曲がった時計が浮いている超空間)
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背景に「ドラえもん」のタイトルがゆっくりと浮かびでてくる
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タイムマシンに乗ったのび太とドラえもんが横移動している
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のび太の机の引出しから勢いよく飛び出し、
座っていたのび太は突き飛ばされる
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歌詞の通り、ドラが街を歩く
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そのドラえもんを、みんなが道ばたで振り返りながら見ている
(のび太、しずか、スネ夫、ジャイアン?)
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ジャイアンにいじめられるのび太
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ドラはポケットからマジックハンドを取り出して
ジャイアンを遠くの煙突まで持ち上げる
(銭湯の煙突?)
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スネ夫、ねずみをドラに見せる。ドラはびっくりして慌ててオーバーに走り出す
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町中を走り回って、最後には小学校の時計台に登ってしまう
(学校名は「下町小学校」?)
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ドラは頭を下にして時計の針にしがみつく
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ドラの頭の重みで針が少しガクンと下がる。ドラは恐怖の表情
(OP終わり)
以上です。基本的にOP主題歌の歌詞に合わせた内容となっていたようです。ここでは歌詞が紹介できませんが、ご存じの方は合わせて場面を想像してみてください。最後の時計台の場面については複数の方が言及されており、特に印象的だったのでしょう。
また、EDアニメはシンエイ版「ドラえもん」日曜版初代ED「青い空はポケットさ」と同じく止め絵の連続で構成されており、その中には「エスパーぼうし」の原作扉を流用した絵や、ドラえもんがタイムマシンに乗ってる絵などがあったそうです。EDの情報はOPに比べてかなり少ないのですが、止め絵のために、印象に残りにくかったのかもしれません。
(追記)
現在、旧ドラのOP・EDアニメについては、真佐美ジュン氏のサイトで絵コンテとセル画の一部が見られます。しかし、アニメの「動き」に関しては当時ご覧になっていた方の記憶に頼るしかありませんので、当コーナーの記述は、このまま残しておきます。
(さらに追記)
最近、旧ドラを観る機会があり、OP・EDを観る事ができました。OPは、これまでご紹介していたとおりの内容でした。EDも、止め絵の連続という点は情報通りです。
EDの絵を紹介しますと、「ガチャ子が恐竜を連れてきて、驚くドラとのび太」「しずかに花を捧げるのび太」「ソウナルじょうで空中を泳ぐドラとのび太」「ジャイアンリサイタル」「人間あやつり機で踊るパパ」「窓ガラスを割って先生に叱られるのび太」「エスパーぼうしを使うドラ」「タイムマシンで原始時代に来たドラとのび太」「潜水艦で金魚鉢に現れたドラとのび太」「空き地でドラに泣きつくのび太」「ヘリトンボで空を飛ぶドラとのび太」の順で使われていました。
(情報提供:荻原さん、オダさん、黄世元さん、しずかさん、高田道場さん、田辺慎司さん、ちあきさん、猫山れーめさん、らどちぇんこさん、Yuさん、但馬さん)
OPやED以外に、アニメで毎回観られるものと言えば、各話の冒頭に付くサブタイトル表示があります。
これが、旧ドラではどうだったかと言うと、
ドラえもんのおなかがもぞもぞ動き出す
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ドラえもんがそれを気にする
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ポケットからプラカードが顔を出す
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プラカードをドラえもんが左手(?)で取り出す
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プラカードが大きくなり、そこに「○○の巻」が書いてある
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ドラえもんの声で「なんとかのまぁき〜」と読み上げられる
と、言う形式で、時間は10秒ほどだったそうです。イメージ的には「ど根性ガエル」などと似た感じなのでしょうか。看板やプラカードの類はサブタイトル表示における定番アイテムの一つなのでしょう。
(情報提供:シュワッチ!o(o!o)○さん)
旧ドラでは、放映途中で主役のドラえもんの声優が富田耕生から野沢雅子へと交代ましたが、新たに野沢さんが呼ばれたというわけではなく、彼女は富田ドラの時代から別の役で旧ドラに出演していたようです。
その役とは、ストーリー紹介にて御紹介した「のろいカメラの巻」で登場したスネ夫の家のお手伝いさん(名前不明)で、いなかっぺ大将を思わせるような田舎丸出しのしゃべり方。「のろいカメラの巻」ではスネ夫と一緒になってドラやのび太の敵側に回っていますが、基本的に悪人ではなく、他の話ではドラやのび太の敵になる事はなかったそうです。ちなみに、ドラの声が野沢さんに変わってからは、このお手伝いさんの出番が減ったとか。
このような経緯を考えると、野沢さんが2代目ドラえもんに選ばれたのは、もちろんイメージチェンジの意味が大きかったのでしょうが、それに加えて既に旧ドラに出演していて作品の雰囲気がわかっている人の方が、何かと都合がいいとスタッフが判断したのでしょう。
(情報提供:荻原さん、TONEさん)
ローカル枠でのアニメ再放送は、地方のテレビ局の個性が発揮される場の一つです。ここでは、全国各地で行われた旧ドラ再放送の情報を紹介します。
まず、キー局だった日本テレビでは本放送の翌年1974年に夏休みの特別枠で再放送されましたが、全話放送ではなく最終回は放映されなかったそうです。さらに、その翌年1975年4月1日より5月6日まで、やはり日本テレビで毎週月〜金曜日・8時〜8時30分の帯番組の形式で全話放送されたとの情報をいただきました。
それに対して関西では、読売テレビ夕方の帯番組の枠で再放送されていたと言う情報を複数の方からいただきました。時期は1974年か75年頃で、この時はEDはカットされていたそうです(次回予告も?)。また、これと同時期か1977、78年頃(この両方とも?)には熊本、1975〜76年頃にかけて広島、1977年くらいに福岡でも再放送があったとの事です。
そして、驚くべき事に、シンエイ版開始以降にも旧ドラが再放送されていました。放送局は富山県の富山テレビ。1979年7月24日〜8月3日まで、平日18時45分〜19時の時間帯でした。時期的に、シンエイ版帯番組と紛らわしいのですが、当時の新聞テレビ欄では放送9回目(最終回)に「おせじ鏡の巻」と、旧ドラのサブタイトルが書かれています。そして、この9回目でいきなり放送は終わってしまいました。少なくとも、8月3日の新聞には(終)マークは付いていません。この突然の打ち切りは何を意味するのか、非常に興味深いところです。しかし、よりによって藤子先生の出身地で、シンエイ版以降に旧ドラの再放送が行われたとは、何とも不思議な事です。
(情報提供:田辺慎司さん、早坂 圭さん、原井泉治さん、松山晋二さん、らどちぇんこさん、ゆりりんさん、かーくんさん、Yuさん)
旧ドラの制作会社である日本テレビ動画は、テレビアニメとして「アニメ・ドキュメント ミュンヘンへの道」「モンシェリCOCO」(いずれも1972年、1クール作品)の2作品を送り出し、1973年に「ドラえもん」(=旧ドラ)を制作後、解散しました。つまり、この会社が活動していたのはたったの2年間なので、「幻の会社」と言えるでしょう。
名前からして日本テレビの関連会社と思われるかもしれませんが、「ミュンヘンへの道」「モンシェリCOCO」の2作品はTBSでの放送であり、実質的には日本テレビと日本テレビ動画とのつながりは旧ドラだけです。ただし、この会社の前身と言われる「東京テレビ動画」時代はもっぱら日本テレビのアニメを作っており、あながち無関係とは言い切れません。
さて、この日本テレビ動画ですが、どうも自社でアニメ制作スタジオを持っていた会社ではないようです。旧ドラ以前の「モンシェリCOCO」は、OPでは確かに「制作 日本テレビ動画」とクレジットされていますが、実製作は演出を担当した正延宏三氏のプロダクションが行っていたとの事です。要するに、一時期日本サンライズなどを下請けとしてアニメを制作していた東映本社テレビ部と同じく、作品を企画して下請け会社に製作を発注し、制作を統括する立場の会社だったようです。正延氏は旧ドラにも演出家として参加していますので、旧ドラも同様の制作体制であった可能性は高いと言えましょう。
そうなると、気になるのは旧ドラフィルムの行方です。日本テレビ動画が存在していた時は、直接フィルムの管理も行っていたと思われますが、解散後はそれぞれ実製作を担当した会社にフィルムの権利が移った可能性が考えられます。旧ドラはフィルムが行方不明と噂されて久しいですが、「モンシェリCOCO」は数年前にCSのキッズステーションで放映されており、「ミュンヘンへの道」についてもOPは「懐かし〜いTVアニメテーマコレクション」と言うビデオに収録されており、日本テレビ動画作品の全てが行方不明と言う訳ではありません。もし本当に旧ドラのみフィルムが行方不明なのだとすれば、フィルムの権利を持っていた実製作会社(正延氏の会社とは別と思われます)がフィルムを紛失したか、またはその会社が解散してしまってフィルムが行方不明になってしまった可能性が考えられます。また、日本テレビ動画作品で唯一旧ドラのみが日テレでの放映ですので、局側の管理が杜撰で行方不明になったと言う事態もあり得るでしょう
いずれにせよ、もし本当にフィルムの行方がわからないのだとすれば、日本テレビ動画が存在しない今となっては、発見する事はきわめて困難であると言えましょう。
(追記)
ここまでは私の推測でしたが、真佐美さんのサイトが公開されて、日本テレビ動画での旧ドラの制作体制が明らかにされました。下請けに丸投げをしていたのではなく、しっかり自社スタジオを持って制作していたようです。また、「記憶のかさブタ」でも、日本テレビ動画の特集が組まれており、その歴史を知る事が出来ます。
(情報提供:ITOさん)
「くるった腹時計の巻」においてドラえもんが「ネコジャラリン」なる道具でネコたちを集めています。おそらくこれは原作「ドラえもん大事典」(てんコミ11巻)で紹介されていた「ネコあつめすず」と同一のものと思われますが、これについて、旧ドラではすずが故障してる設定は存在せず、頻繁に使用していたとの情報をいただきました。
また、旧ドラ放映開始以前には、少なくとも原作本編では「すずでネコを集める」と言う設定は全く登場していませんが、企画ページの図解「ひみつじまんくらべ」にてネコを集める鈴は紹介されているので、これを元にして、旧ドラで本格的に「ネコジャラリン」として登場したのではないでしょうか。
その後、旧ドラのためにスズの設定がある程度知られてしまって無視できなくなったために、「ドラえもん大事典」で故障しているという設定にしてしまい、原作中に登場しないこととの矛盾を解消しようとしたのではないかと考えられます。
(追記)
「記憶のかさブタ」のストーリー紹介によると「ネコジャラリン」は、鈴の形はしていないとの事。また、真佐美ジュンさんから直接お伺いした話も合わせて判断しても、スズの設定とは別に、ネコを集める道具が登場していた事は、間違いないようです。
(情報提供:オダさん、き〜ぼ〜さん)
毎日、新聞のテレビ欄にはその日の注目番組の内容紹介記事がありますが、旧ドラの放送開始・最終回の時にも、その手の記事が掲載されました。ここで、その全文をご紹介します。
(新番組記事)
秘密兵器をあやつるスーパー・ロボット猫“ドラえもん”と、何をやってもダメな少年“のび太”がくりひろげる珍騒動を描くアニメーション。藤子不二雄の原作。
のび太は小学四年生。のびのびとした気性で正義感も強いが、勉強はできず、運動神経もにぶく、何をやらせてもダメな少年。未来の国にいる、のび太の孫の孫にあたるセワシがついに見かねて、スーパー・ロボット猫“ドラえもん”をのび太の所に送り込んでくる。のび太を立派な少年に鍛え直そうというのだ。
ドラえもんは、人間の言葉をしゃべり、おなかの中に無数の秘密兵器を持っているすごいロボット猫だが、少々おっちょこちょい。使命感に燃えて、何かとのび太のめんどうをみるが、結果はいつもズッコケ。
(1973年4月1日付「河北新報」より)
(最終回記事)
のび太が最新型の自転車を買ってもらってはしゃぎ回っていたが、まだ自転車に乗ることが出来ないので、いつものようにドラえもんに頼もうとした。
ところが、なぜか元気がないドラえもん。それというのも、未来の国から来ているドラえもんに、国へ帰ってくるよう言ってきたのだった。
(1973年9月30日付「河北新報」より。他に「ネンドロン大騒動の巻」の記事もあり)
新番組の記事は第1回放送ではなく「ドラえもん」という番組全体の紹介ですが、原作通りのび太が小学四年生の設定であることや、「四次元ポケット」の名称がまだ生まれていない点が分かり、興味深いです。番組開始と最終回の両方で取り上げられたと言うことは、少なくとも東北地方では旧ドラはそれなりに注目されていたのでしょうか。
(情報提供:Sotkさん)
以上、これまで旧ドラに付いていただいた情報を元にして、私自身が調べた内容も付け加えて、まとめてみました。情報を提供していただいたみなさんには、あらためて御礼申し上げます。ありがとうございました。
旧ドラについては資料も少ないので、ここで御紹介した以外にも、まだまだ驚くべき情報があるかもしれません。些細なことでも、何かございましたら掲示板かメール(トップページ下をご覧下さい)で、ぜひお知らせください。