ドラちゃんのおへや

いつでも日記

VOL.4 藤子イベントの思い出(2002年)

 前回に引き続き、日記より過去の藤子イベント参加体験の思い出を抜き出して再掲します。
 今回は、前回から1年あけて2002年分を載せる事にしました。2001年については、イベントそのものの感想よりも個人的な行動の記録が多くを占めているので、本コーナーへの再録は見送ります。ご了承下さい。


- ドラオールナイト&A先生誕生日お祝い -

★2002年3月8日(金)

 昨年の夏以来、久しぶりに上京した。目的はもちろん、例年通りドラえもんオールナイトなのだが、今年はそれに加えて、もう一つ参加した企画があった。某藤子ファンサークル主催による、藤子不二雄A先生のお誕生日(正確には3月10日だが)のお祝いだ。

 具体的に私は何をやったかと言うと、A先生がお仕事をされている藤子スタジオのビルの前で、先生に見ていただくための紙を持って立っていた。何人かが並んで一枚ずつ紙を持ち、それらを続けて読むとお祝いのメッセージになると言う趣向だったのだ。
 当初は、本当にメッセージを見ていただくだけで終わる企画のはずだったが、このお祝いを喜んでくださったA先生がビルから出てこられて、何と握手をしていただけた上に一緒に写真を撮って下さったのだ。生のA先生と直にお会いしたのは初めてだったので、何と言っていいかわからないほど感激して、また興奮してしまった。

 その後は、一緒にお祝いをした方々とお疲れ会をしたり、A先生と写った写真を現像しに行ったりした後、ドラえもんオールナイトへと向かった。
 今回のオールナイトは、いつもと違う司会の人の手際が悪いのがちょっと気になったが、舞台挨拶は相変わらず面白かった。肝付さんが旧ドラでジャイアンを演じていたことを、私のサイト(だと思う)を見て思い出したと言って下さったのがうれしかった。芝山監督のゲスト芸能人声優への評価も相変わらずで、笑ってしまった。大山さんたちが「上手い」と言った後、監督がそれを否定するパターンが出来上がったようだ。
 意外だったのは、KONISHIKIと新山千春の歌う挿入歌を絶賛していたこと。吉川某の歌への評価とは大違いだ。


★2002年3月9日(土)

 ドラえもんオールナイト終了。例年は、オールナイト後は藤子不二雄MLメンバーの方々と連れだって飲み屋などでオフ会と言う流れだったが、今年はMLの管理人T氏が不参加だったせいか、オールナイト後はそれぞればらけてしまったようだ。

 毎年おなじみになっていたMLオフが事実上行われなかったのは残念だったが、今回は「ドラちゃんのおへや」の掲示板「らくがきじゅう」に来て下さっている方々と私の計5人でマクドナルドへ行って、事実上の「らくがきじゅう」第1回オフ会を開催することができた。朝食後はカラオケへ。
 全く予定を立てておらず行き当たりばったりだった割には、マクドナルドでのドラ話(割合的にアニメの話題が多かった。後は映画へのつっこみなど。どうも、近年のドラ映画の感想会はつっこみ大会になってしまう)も、カラオケも盛り上がった。ご一緒して下さった皆さんには、感謝感激だ。お疲れさまでした。

 その後は、アニメイトを見物後に池袋駅で解散して、私は神保町経由で秋葉原へ行った。神保町では古本屋を数軒回ったが、何も購入せず。しかし、秋葉原ではかなり収穫があり、探していたDVDやLDをいくつか入手した。
 そして、夕食後は帰宅のために乗る品川発臨時夜行の席取りをした。できるだけ早いほうがいいだろうと考えて夜8時から並んだが、今回は席が余っており3時間以上も待つ必要はなかったようだ。おかげで、無駄に疲れてしまった。


- 氷見・藤子Aまんが原画展 -


★2002年8月1日(木)

 この日は、氷見まで行って「藤子不ニ雄Aまんが原画展」初日を鑑賞した。前日に金沢まで来て、早朝に氷見入りと言うきついスケジュールだったためか、長く感じた一日だった。以下、覚えている順に書いて行く。

 まず、朝は9時の開場までに到着するために6時に起きて、7時発の電車で氷見へ向かった。朝が早かった為、結構疲れていたのに6時間弱しか眠ることが出来なかった。8時13分氷見駅着。氷見に来たのは2回目だが、電車で来たのは初めてだ。駅前は店も少なくてのどかで実にひっそりとした感じ。いかにも「地方都市」だなと言う印象を受けた。
 目的地の氷見市立博物館は駅から徒歩で10分足らずなので、8時半前には付いてしまった。すでに誰か来て開場を待っているのではないかと予想していたのだが、意外にも知り合いは誰もおらず、拍子抜けしてしまった。とりあえず、9時に一人で会場入りして原画を鑑賞した。初めて観るA先生の原画は、やはり新鮮だ。
 「ひっとらぁ伯父サンの情熱的な日々」におけるリアルなひっとらぁ伯父サンの顔や、黒と白のコントラストが印象的な『黒ベエ』のプロローグなどは、原画で観ると一層の迫力がある。また、新聞社時代の仕事のスクラップや、小学校時代の賞状が観られたのもよかった。欲を言えば、もう少し規模が大きければもっとよかったのだが、市が主催して入場無料では、このくらいが限界なのだろう。

 一通り回ったあとは、前日からの疲れもあったので、一階の図書館で一休みした。
 この博物館のある建物は、一階は図書館と博物館、二階に博物館の特別展示室と言った具合に、氷見市の文化施設が複数入っている。さすがにA先生の出身地だけあって、図書館では旧FFランドのA作品はほぼ全巻、各作品が5冊以上ずつ揃えられており、本棚を眺めると壮観だ。「オバQ」もほぼ全巻揃っているのだから、氷見の子供は恵まれている。
 ここで未読のA作品を読みつつ時間をつぶしていると、11時頃に愛知県から某氏が到着。ようやく知人に会うことが出来て一安心した。その後、13時少し前になって、知っている人が次々とやってきた。あとから聞いたところ、みんな開会式が13時からと言う情報をつかんでいたので、ゆっくりやって来たそうだ。私も、これを知っていたら、もう少し朝寝坊していただろう。今回は、一人でのんびりと原画を鑑賞できたので良しとしよう。

 同じく13時前にはA先生もご到着して、開会式が行われた。続いて、「ひみキトキトまんが道大賞コンテスト」の表彰式を挟んで、A先生が「用心棒」を描くにあたって取材された黒澤雄太氏の剣技の実演があった。
 そして、その後は藤子ファン仲間と共にA先生の生家「光禅寺」にお邪魔させていただいた。光禅寺は以前に藤子MLの高岡オフ会でも一度訪れているが、その時と大きく異なるのは、今回はA先生がいらっしゃるという点だ。前回は中に上がらせていただいただけで感激だったが、今回はそれに加えてA先生と直接お話しをすることが出来たのだ。もう言葉に出来ないほどの大感激である。
 A先生のお話は、一つ一つがとても面白く、思わず聞き入ってしまった。ここで内容を書くわけには行かないのが残念だが、本邦初公開かも知れない興味深い話をたくさんお聞きすることが出来て、気が付いたら1時間以上も経っていた。時間を忘れるとは、まさにこういう事だろう。素晴らしい体験だった。

 その後は、夕方までハットリくんのカラクリ時計など氷見の各所を回ったあと、日帰りの方と別れて旅館へと向かった。
 などと書くと、前もって旅館を予約していたと思われるかもしれないが、実は今日どこに泊まるかは全く計画していなかった。関東から来る人たちは氷見か高岡あたりに泊まるだろうから、あわよくば便乗させて貰おうなどと考えていたのだ。
 その思惑通り、旅館予約担当の某氏にお願いして、私も同じビジネスホテルに泊まることが出来たというわけだ。我ながらイキアタリバッタリで図々しいが、助かった。もし宿が取れなかったら氷見駅(夜は無人)で一晩を明かすことになっていたかもしれない。
 夜は、みんな疲れていたせいか23時前には消灯。私も前日からの疲れがたまっていたため、すぐにぐっすり眠ってしまった。こうして、氷見の長い一日が終わった。


★2002年8月2日(金)

 この日は、氷見の二日目。
 午前7時頃起床して朝食を取り、午前8時頃に宿を出た。宿は、朝食付きで一泊5000円。部屋も、ビジネスホテルの割には結構広くてちゃんとした和室で、一昨日に宿泊した金沢のビジネスホテルが素泊まり・狭苦しい部屋で4800円だったのと比べると、実に安い。また、昨日の夕食で入った店も、結構たくさん食べて飲んだのに一人当たり2000円弱でちょっと驚いた。氷見は物価が安い気がする。

 それはともかく、宿を出た後はおみやげを買ったり、A先生デザインの「ブリンス」達の像が設置してある「潮風通り」を歩いたりして過ごした。その後、車で高岡まで行って、私はここで離脱した。残りの方々はこの日も高岡に泊まって翌日まで藤子名所巡りをされる予定だと聞いたが、私は時間及び予算の都合で断念した。少し残念だが、氷見で過ごした二日間だけでも、来た価値は十二分にあった。

 その後は延々電車に乗ること7時間半。11時57分高岡発の電車に乗って、自宅に着いたのが19時半過ぎでだ。電車一本で乗り継ぎがなければ、もう少し速いのだろうが、北陸は電車の本数が少ない。おかげで、金沢・福井・敦賀でそれぞれ30分以上乗り継ぎの時間があいてしまった。
 しかし、それでいい事もあった。金沢では駅前のBOOK OFFに入ったら、なんとA先生の「プロジェクトPOS」を100円コーナーで発見できたのだ。本の状態もまあまあよくて、はじめは1000円かと思ってしまったが、BOOK OFFに「1000円コーナー」があるわけない。久しぶりの掘り出し物だ。こういう事があるから、BOOK OFF通いはやめられない。

 氷見で、多くの物を得る事が出来た二日間だった。感じのよい町なので、藤子先生絡みで富山方面を訪れる時には、ぜひとも再訪したい。しかし、駅前にコンビニが一軒もないくらいだから、旅行で訪れる分にはよくても、住むとなると色々と不便なんだろうなあ。


- 夏コミ&お墓参り -

★2002年8月10日(土)

 朝8時頃起床。前日にコミケ目的で上京していたが、この日の目的はコミケではないので、早起きはしなくてもよかった。実際、8時起きでも昨日の疲れは完全にはとれていなかった。コミケでは本当に体力を使い果たしてしまう。自宅で休める東京在住者の方がうらやましい。

 今日の目的は、神奈川県の某所。藤子・F・不二雄こと藤本弘先生のお墓参りに行ってきた。
 今までずっと「いつか、行かねばならない」と思っていたが、それが今回ようやく叶った。霊園自体は場所を知っていたので迷わず行くことが出来たが、規模が結構大きい。一つ一つお墓を見て回って、藤本先生のお墓を見つけだすことなど不可能に近いだろう。そこで、事務所の人に尋ねてみた。親戚でもない赤の他人に教えてくれるかどうか不安だったが、地図付きで親切に場所を詳しく説明してもらえて、ありがたかった。
 しかし、この霊園に藤本先生のお墓があることを知っている人が事務所内にほとんどいなかったのは残念だった。「藤子不二雄って死んでたっけ」などと言い出す人までいる始末だ。幸い、知っている人もちゃんといたのでよかったが、藤本先生の眠る霊園ですら認知度がこの程度だと思うと、ちょっと悲しい。

 そして、肝心のお墓は、「まったく普通の一般的な墓」としか言いようが無い。脇にドラえもん型の名刺入れがあるが、これがなければパッと見ても藤本先生の墓だとは気づかないだろう。それほど、墓自体には全く特徴はないのだ。ご自身が表に出ることをあまり好まれなかった藤本先生らしいと言える。
 とにかく、お参りを済ませることが出来た。お葬式に参列することが出来なかった時から続いていた心のもやもやが晴れて、一区切りを付けることが出来た気分だった。


★2002年8月11日(日)

 午前5時起床。テレビ朝日の「オヨネコぶーにゃん」再放送を観た。本作を観たのは15年ぶりくらいだろうか。涙が出るくらい懐かしかった。と言っても、起きたばかりで完全に頭が覚醒してはいなかったため、Cパートしか記憶にないのだが。
 その後、宿を出発。東京駅まで出て、臨時バスでお台場へと向かった。7時頃にビッグサイト前に到着してから、今日は気分を変えて東の待機列に並んだ。7時の時点で既に41列目だったが、その後はあまり列はのびなかった。入場できたのは11時頃で、いずれにしても午前中に入りたければ4時間は待つ必要があるようだ。

 そんな訳で東に入場したのだが、とにかくものすごい人の数だ。最終日の3日目に参加したのは今年が初めてだったが、まさかここまでとは思わなかった。1日目と2日目ですら、すごい人の量だと思っていたのだが、3日目はその比ではない。何もしないでうろうろしているだけで、どんどん体力が失われていく感じだった。
 しかし、何もせずに倒れてしまうわけにもいかないので、目当てのサークルを2、3回った後は、多少なりとも興味のあるジャンルの島をうろついていた。すると、待ち合わせもしていないのに、何度か藤子ファンの知人に遭遇した。藤子作品を通じて知り合ったのに、全然藤子と関係のない所で出会ってしまう点が何とも言えない。それにしても、あの人の数の中で巡り会うことが出来たのは奇跡的と言って良いだろう。1日目は誰にも会えなかっただけに、嬉しかった。

 一日目と同様に、本日も藤子系サークルは極めて少なかった。例年は藤子系サークル関係者で集まって打ち上げを行っていたが、今年はそう言ったこともなく、ちょっと残念だった。まあ、想像を絶するほど疲れたので、何もなくて良かったのかもしれない。もし打ち上げがあっても、付いていく体力は残っていなかっただろう。

 そして、コミケが終わり東京を後にした。品川発臨時夜行の席取りがすさまじいのは例年通りだが、今回は特にひどくて、ホームから人があふれて階段の上まで列が出来ていた。ムーンライトながらの席が取れて本当に良かった。さすがは3日目だ。


おわりに

 以上が、2002年の私の藤子ファン活動の記録です。
 あらためて読み返してみると、この年はオフ会等の藤子ファンイベント開催状況に変化が生じてきた転換期だったのだと気付かされました。
 たとえば、前年まで必ず開催されていたドラえもんオールナイト後の藤子MLオフ会が行われませんでしたし、2000年の時には「恒例行事」だったはずの高岡オフ会も行われていません。私自身も含めて、藤子ファン活動において藤子MLの占める部分が目に見えて減ってきた時期でした。

 その逆に、MLとは関係なくA先生の原画展に合わせてファンが集結しましたし、現在は夏・冬のコミケ後に行っている当サイトのミニオフ会「第1回」と言える集まりをドラオールナイト後に行っており、この時点では特に藤子ファンの活動の勢いが衰えたのではなく、形が変化していったと言えるでしょう。
 ただ、一つ寂しく思うのは、藤子ML関連の活動が事実上なくなったのに伴って、お会いする機会が極端に減り、ここ数年は全くお目にかかっていない人もいる事です。ファン活動の形は人様々とは言え、それまでの数年間、藤子作品を共に楽しみ、語り合ってきた人達だっただけに、いつのまにかご縁がなくなってしまったのは残念です。

 その一方で、この2002年以降、ここ数年の間に新たに知り合った人も何人もいます。
 ネット上でのファン活動の形がML→個人ファンサイト→ブログと言った具合に変化してきて、現在はブログで気軽に作品の感想なども書ける状況ですから、それによって新たな出会いもありました。
 また、mixiをはじめとするソーシャルネットワーキングサービスも、あらたなファン同士の出逢いの場となっています。2年前から夏と冬に開催されている藤子ファン関西懇親会は、まさにmixiを通じて集まった会と言えます。

 人生では、出会いも別れもたくさん訪れますが、今後も色々な出会いがある事を期待して、当サイトや「はなバルーンblog」を続けていきたいと思います。