アニメ 旧ドラえもん 大研究

 旧ドラを観た 

 私にとって旧ドラは、長年の間、主題歌・挿入歌や「くるった腹時計の巻」の音声などで、ごく断片的に触れたのみで、本編については、本放送当時にご覧になっていらっしゃった皆さんのお話を聞いて、想像するしかありませんでした。
 しかし、2006年2月8日、藤子不二雄ファンサークル「ネオ・ユートピア」の藤子アニメ上映会において、ついに旧ドラのOP・ED及び本編を観る事ができたのです。本編は、富田ドラと野沢ドラから1話ずつで、異なるドラの声を両方聞く事が出来るという、嬉しい構成でした。
 私は、この時の感想を自分のWeblog「はなバルーンblog」に書きました。ここでは、ブログの文章に加筆訂正を加えて、あらためて掲載しておきたいと思います。


 シンエイ動画版「ドラえもん」が始まった1979年以来、30年近くの間、ほぼ再放送される事もなく、近年はフィルムが行方不明になって紛失したとまで言われていた旧ドラの実物を、ついに観る事が出来た。上映会に参加された方は、皆さん色々な思いで旧ドラをご覧になった事だろう。

 今回、上映されたのは「男は力で勝負するの巻」「潜水艦で海に行うの巻」の2本。「男は〜」は1973年6月17日放映でシリーズ前半の作品、「潜水艦〜」は8月5日放映でシリーズ後半の作品だ。本作は、途中でドラえもんの声が富田耕生から野沢雅子に交代しているが、今回の上映会では富田版・野沢版を1話ずつ観る事ができた。  以下、各エピソードの感想を書いておく。なお、スタッフ情報は真佐美ジュンさんのサイトより引用させていただいた。



・第12話B(通算24話)「男は力で勝負するの巻」(脚本/井上知士、絵コンテ/奥田誠治)

 色々と書くべき事はあるが、とりあえず、ドラえもんが喋るだけで笑えると言うのが凄い。声を担当された富田さんや、本放送で旧ドラを1話から観ていた方にとってはこの声で当然だろうから不本意に思われるかも知れないが、私の頭には26年間にわたって「ドラえもん=大山のぶ代」が刷り込まれてしまっている。多くの方も、同様だったらしく、ドラえもんが発言するたびに、会場から笑い声が聞こえていたし、私も思わず笑ってしまった。
 作画自体は、シンエイ版初期の雰囲気に近いし、ドラえもん以外のキャラについては、声にそれほど違和感もないので、余計にドラえもんのおっさん声のインパクトが強い。結局、観終わるまであの声がドラえもんだとは、完全には認識できなかった。

 内容的には、原作「ソノウソホント」(てんコミ4巻収録)のアニメ化であり、以前からストーリー紹介のコーナーで、当時ご覧になった方の記憶によるあらすじを公開していたが、実物は、ほぼそのままの内容であり、30年を経た後の、記憶の確かさに驚いた。やはり、本話は旧ドラを観ていた方にとって印象的なエピソードだったのだろう。ともかく、ストーリーについてはこちらをご覧いただきたい。

 旧ドラ独自の見所としては、ジャイアンとスネ夫の関係、スネママ・パパの描写、ジャイアン父子の愛などが挙げられる。
 まず、ジャイアンとスネ夫の関係だが、終始スネ夫が強気な態度をとっていて、ジャイアンに対して「おまえ」呼ばわりする場面もあり、力関係はスネ夫の方が上に見える。原作でも、連載1年目におけるスネ夫とジャイアンのポジションは似たようなものであり、旧ドラ制作開始時に2年分しか原作のストックがなかった事を考えると、このような描写もうなずける。
 次に、スネ夫のママとパパについて。この二人は、原作では出番も少なく、スネ夫と似たような性格・外見である事くらいしか印象に残らないが、「潜水艦〜」も含めて、旧ドラでは特にスネ夫のママが原作以上にエキセントリックで強烈なキャラクターとして描かれている。「空手三段」で、パパの代わりに板をたたき割ってしまう場面は迫力があった。
 最後に、ジャイアン父子の描写について。ジャイアンの父ちゃんは、原作とは全く異なる小男で、息子が恥をかかないように必死になる、子思いの人物として描かれている。土管を割ろうと無理して何度も手を打ち付けて、手が真っ赤にはれてしまう場面は特に印象的だ。この「泣かせ」の場面が入っている点も、旧ドラ独自の解釈であり、原作が少ない時期に、アニメなりに世界観を作り上げようとしていた事が伺える。なお、真佐美ジュンさんによると、ジャイアン親子の関係については、本話に先だって「決闘! のび太とジャイアンの巻」でも描かれており、こちらを先に観ると、より味わい深くなるそうだ。

 このように、色々と印象的な部分はあったが、その中でも一番はドラえもんの声だった。「あいしゅうのドラえもん」で富田ドラの声を聞いてはいたが、実際に動画に声が付くと、全くインパクトが違う。非常に強烈で新鮮な体験をする事が出来た。なお、富田ドラの話し方は、イメージとしては「魔法使いチャッピー」の「ドンちゃん」に近い。いずれにしても富田氏としては珍しい、かわいい系統のキャラクターと言える。



・第18話A(通算35話)「潜水艦で海へ行うの巻」(脚本/鈴木良武、絵コンテ/村田四郎)

 内容は、同題の原作より(てんコミ6巻収録)。原作では海へ着いたところで話が終わっているが、旧ドラでは中盤で海に着いてしまい、その後はアニメオリジナルの展開が用意されている。また、スネ夫達を海に連れていくのがスネ夫のママであったり、しずかの家にガチャ子が居候しており一緒に海へ行くなど、独自の味付けが、多数見受けられる。
 本編後半のオリジナルストーリーでは、ドラ・のび太の潜水艦と、スネ夫のモーターボートのどちらに静香を乗せるかで、ガチャ子も加わってドタバタの争奪戦が行われた末に、潜水艦とモーターボートが衝突して両方とも壊れてしまい、ドラ陣営とスネ夫陣営の全員が離れ小島に避難する。そして、潮が満ちて小島が水没していき、あわやという場面となるが、ここでドラえもんの道具で窮地を脱する展開になっている。  この場面が突っ込みどころ満載で、ドラえもんが「タイムトンネル」を掘ると言いながら、実際はどう見ても単なるワープトンネルになっていたり、未来ロボットのくせにガチャ子が騒ぐだけでまるっきり役立たずだったり(何のために20世紀にいるんだ?)、スネ夫のママが相変わらず濃いキャラでドラやのび太に対抗心むき出しだったりと、見所は多い。
 最終的に「タイムトンネル」(?)が野比家に通じて、一行は事なきを得るが、このオチの場面は原作「ふしぎな海水浴」に通じるものがある。海へ行く話として、複数の原作エピソードを生かそうとした結果、このような展開になったのかもしれない。

 また、野沢雅子のドラえもん声だが、富田ドラと別物である事は言うまでもないが、普通に原作に近いセリフ回しだった富田ドラと異なり、「〜なの」「〜なのよ」など、妙に女っぽい喋り方になっている点が印象的だ。野沢さんの解釈なのか、演技指導が入ったのかどうかはわからないが、ともかく富田時代とは異なるドラのイメージを作ろうとしていた事は間違いない。
 本話は、「男は力で〜」とは打って変わって、全編がドタバタ展開で、私が以前から想像していた旧ドラのイメージに近かった。よくも悪くも、このような話は、現在のシンエイ版では絶対に作る事は出来ないだろう。

 そう言えば、ガチャ子としずかの関係は、「オバQ」のU子とよっちゃんを連想させられる。しかも、ガチャ子の声は、前年までQ太郎を演じていた堀絢子さんだ。もし、旧ドラでガチャ子としずか二人がメインとなったエピソードが存在するならば、ぜひ観てみたいものだ。



 ここからは、各話の感想で書ききれなかった部分について、補足しておく。

 まず、ドラえもん以外のキャラクターの声だが、上でも書いているように、思ったよりも違和感はなかった。昨年、実際に声優交代を体験したせいで、大山時代以外の声への抵抗感が弱くなっているのかも知れない。
 ただ、ジャイアンの声については、単独では問題ないが、ジャイアンとスネ夫が一緒に画面に出ている時には、今どちらが喋っているのだろうかと、何度か混乱してしまった。やはり「肝付兼太=スネ夫」のすり込みは、非常に強い。

 また、作画に関しては、「男は力で〜」の方は比較的原作を生かしており、シンエイ版初期に近い感じなのだが、「潜水艦〜」については、正直なところかなり違和感があった。キャラの等身は微妙に下がっていて、顔もひしゃげている感じで、絵自体の完成度はともかく、「ドラえもん」の作画としては難ありだと思う。また、昔のアニメではしばしば観られる現象だが、スネ夫のママが喋っている場面で、一カ所だけ口が動いておらず止め絵になっていたのが妙に印象的だった。

 そして、富田ドラ・野沢ドラともにのび太は呼び捨て。原作ではまだ「くん」付けだった頃なので、これも旧ドラ独自の解釈となるが、シンエイ版とは一味違う、二人の関係は、これまた新鮮だった。



 以上、日本テレビ版「ドラえもん」について、率直に感想を書いた。

 思えば、私が旧ドラに関心を持ったのは大学生の頃だった。その後、ある程度資料が集まったので、サイト内に軽い気持ちで旧ドラコーナーを作ったところ、非常に大きな反響があり、リアルタイムでご覧になっていた方から多くの情報提供をいただいた。
 しかし、まさか旧ドラのスタッフご本人がサイトをご覧になって、メールをいただく日が来ようとは、予想外の出来事だった。その旧ドラスタッフ・真佐美ジュンさんからいただいたメールによって、旧ドラの正しいスタッフを知る事が出来たのだが、従来知られていたメンバーとは大きく異なっていたため、最初は半信半疑だった。今思うと、大変失礼な事だった。
 ともかく、真佐美さんとのご縁が出来た事で、一生観る事は叶わないのではないかと諦めかけていた旧ドラを、とうとう観る事ができた。その感激は、とても言葉では表せない。今回の上映実現に尽力された方々には、あらためてお礼を申し上げたい。

 また、実物を観て、自分がこれまで頭の中で作り上げていた旧ドラ観には、多分に勘違いや誤りがある事もわかった。正直なところ、原作を生かせなかった失敗作というイメージを持っていたが、旧ドラ独自の世界観は、シンエイ版ドラにはないものが多く、非常に新鮮に感じたし、当時の東京ムービー作品に通じる人情路線は、原作とは一味違う面白さがあった。失敗作と言うよりは、「ドラえもん」のアニメ化として早すぎた作品と言った方が正しいだろう。


 今後、旧ドラがもっと多くの人の目に触れて、正当に再評価される時が来ることを期待したい。今回の上映会は、その第一歩になるのではないだろうか。


 ここまでが、上映会で観た旧ドラの感想です。何度も書きますが、動いて喋っている富田ドラに接した衝撃は、おそらく一生忘れる事は出来ないでしょう。
 この上映会終了後には、2次会が行われ、その席で真佐美ジュンさんから、じっくりと色々なお話を伺う事が出来ました。いい機会でしたので、これまで旧ドラについて疑問に思っていた事柄について、いくつかお聞きしてみました。その内容については、真佐美ジュンさんの許可を頂けましたので、こちらで公開いたします。