これは、大山版ドラのときにいうことであるが、80年代末期のころからのアニメのドラの話は、ほとんどのび太が、悪い目(いじめられる、怒られる、怒ったドラやクラスメイトや先生やママといった大人に追いかけられるなど)にあう終わり方をする話が多くなってる。
「ポケット信号機」、「透明ハンド」、「町内突破大作戦」などの、コミックで最後にのび太が悪い目に合う話は、アニメでも同じく、のび太のバッドエンドの話なのに、「スリルチケット」、「完全修正機」、「お好み建国用品いろいろ」、「カミナリだいこ」、「ジャイアンテレビに出る」などは、コミック版の話では、別にのび太は、悪い目に合う話じゃないのに、アニメのほうの話は、コミック版の話の終わりの場面をスルーする形や、内容自体を変えてる形で最後にのび太が悪い目にあうというバットエンドストーリーになっている。
リメイク作だと、「ジャイアンをだまらせろ」、「家の中で迷子」、「わすれろ草を君に」、「落書きでお返し」などは、初期の10分帯のときはコミック版と同じ終わり方だったが、リメイク作では最後にのび太が、怒ったドラやジャイアン、スネ夫、しずか、出来杉といったクラスメイト、先生、ママといった大人に追いかけられる、囲まれるといったバッドエンドストーリーになってしまっている・・・
アニメのドラは、無理やりのび太が最後に悪い目に会う話に作ってしまうのかがどうも納得できない。やっぱりコミックどうりに話を終わらせようよと今でも思う・・・
バッドエンドストーリーがあるのは、ギャグマンガではあることだが、誰が最後に悪い目にあうところまでワンパターンにしてしまうのはよくない
これじゃ、「こち亀」を見てるのと変わらない
のび太が、ドラにお仕置きされて地獄を見るバッドエンドストーリーは、「こち亀」の両さんが、大原部長にお仕置きされてる姿を見てるようだし・・・・