◆シュン さん:
> 藤子F不二雄先生の人物の絵は手塚タッチが基本であるが手塚タッチから変化して硬質的な絵で、手塚タッチの丸い絵に近いのは藤子不二雄A先生のほうである。わさドラ映画の作画は手塚タッチのようでしかも手塚タッチよりもすごい絵である。その理由は手塚タッチの絵は骨格がある動きをする絵なのに対し、わさドラ映画の作画は骨格が無い動きをする絵なので、藤子F先生の絵でもなければ藤子A先生と手塚先生の絵でもないのですごい違和感があり、つまらなさの原因でもある。
夏の入った書き込み、ありがとうございます。
しかし、私は、このお考えには賛同できません。
両藤子先生の絵が手塚タッチっぽく描かれていたのは、せいぜいデビューから数年、遅く見積もっても昭和30年代中盤くらいまでだと思います。
また、「わさドラ映画の作画は骨格が無い動きをする絵」というのはわかりますが、私には手塚タッチにも、それよりすごい絵(正直なところ、この表現をされる意図を図りかねるのですが)にも見えません。
わさドラ映画で随所に見られる「骨格が無い動きをする絵」は、大山時代に生まれた渡辺歩演出の発現でしょう。このような動きは、「緑の巨人伝」で特に多く見受けられて、今年の「新宇宙開拓史」では、それほどでもなかったと思います。
> 次に背景について、わさドラ映画の背景はこれまた藤子F不二雄先生の作風にまったくといっていいほど合っていません。
F先生の原作の作風と比較すると背景は「描き込みすぎ」に見えますが、日常世界はともかくとして冒険の舞台となる異世界については、緻密に描き込まれた背景であった方が作品に迫力が出て、映画としては効果的だと思います。
ただ、動画との親和性があるかどうかは、確かに問題ではありますね。
> ドラミちゃんを映画に出す場合はクレヨンしんちゃんのねねちゃんみたいにキャラクターを変えて出さないとだめで、ドラミちゃんを初期のころに戻すみたいにしないとだめである。
そもそも、無理にドラミを出す必要はないと思います。「新宇宙開拓史」は、明らかにストーリーの進行のテンポが悪くなっていましたし、本筋には絡んでいません。ドラミについて考え直すなら、キャラを変えるのではなく「出すか出さないか」でしょう。
以上、私の思うところを書いてみました。
来年の「人魚大海戦」は初の「渡辺氏が監督でないオリジナル作品」ですので、「緑の巨人伝」にどれほど監督の影響があったのかを見極める意味で、興味深い作品だと思っています。
最低限、「ドラえもんの映画」になっていることを祈ります。