昭和40年生まれの私には昭和48年半年だけ放送された「ドラえもん」には思い入れがあるのでこのようなサイトに出会えたことをうれしく思います。
よく、最初の「ドラえもん」は半年で終わったので、このころはまだマイナーで人気がなかったと考えている人がいますが、全く違います。当時の「ドラえもん」のは第2の「オバケのQ太郎」という評価でした。その証拠に私の世代ではいわゆる「旧ドラえもん」の「ぼくのドラえもんが町をあるけば」だけは歌える人が多い。それはこの部分だけは「ドラえもんが4月1日から始まります。」というコマーシャルで流れていたからで、こんな昔の歌を覚えているのも「マジンガーZ」がなければ「ドラえもん」を見たいと考えていた人が多かったからと思います。当時は社会全体が忙しので、平日よりも土日に人気番組が集中していました。日曜日の7時という激戦区に放送が予定されて、しかも「ぼくのドラえもんが」の歌に乗せて「ドラえもんが4月1日から始まります。」というコマーシャルを執拗に放送していたこと事態がドラえもんの当時の人気高さを物語っていると思います。ただ、その人気は小学館の学習雑誌をとっている子供の間という限定つきもものであったことは否めません。また、意外と幼稚園児の人気がいまいちでした。というのは、幼稚園向きの話は単純だったから。幼稚園児での人気が沸騰したのはアニメ化されて面白い小学校中高学年向きの話が幼稚園児でも見られるようになってからです。
ぼくのドラえもんが」の歌に乗せて「ドラえもんが4月1日から始まります。」というコマーシャルを見て、当時の小学生の私は「よし、ドラえもんをみるぞ!」と胸を躍らせました。しかし、その思いはかなえられなかったのです、それは、当時幼稚園児だった弟がマジンガーZのファンだったからです。兄の私は弟にテレビ番組を譲らざるを得なかったのです。何度も「ドラえもん見せて」と弟に頼んだが、弟は譲ってくれなかったのです。そんなある日弟が「今日はドラえもんをみてもいいぞ!」といいました。何故、今頃と思いましたが、ドラえもんをテレビで生まれて始めてみることができるんだという喜びがそのような疑念をすぐに消し去ってしまいました。人生最初のドラえもんアニメは「ネンドロン」という題の話でした。ネンドロンという何でも粘土のようにやわらかくしてしまう道具をスネ夫に盗まれいたずらされてしまうという話でした。(スネ夫がボートにネンドロンを吹きかけて、ボートが伸びていったシーンを覚えています。)その次の話はなんと「さようなら、ドラえもん」でした。セワシ君がきて、のび太君に「おじいちゃん!」といい、のび太が「そのおじいちゃんというのはやめてくれ!」というシーンと最後、のび太がドラえもんと別れるときにお菓子(たぶんドラ焼き)をのび太がドラえもんに渡すシーンを覚えています(このとき、ドラえもんには好物のお菓子があることを知った。)。ドラえもんアニメデビューでいきなりドラえもんが未来の世界へかえってしまうなんて、こんな経験をした人はまず、いないでしょうね!