第一章から五章までで紹介した発言を見返すと、どうものび太という人物が何を考えているのだか良くわからないと言う印象が、一層強まったのではないかと、少し心配だ。
もちろんのび太は、「何も考えていない」どころか、一度考えにふければ世の凡人には考えつかないような独創的な発想をすることもしばしばで、この世の真理を鋭く言い当てた(?)発言も見られる。ここでは、そんな「考える人・のび太」の発言の数々を紹介する。
これこそが、のび太の生き方の大本となっている思想と言っていいだろう。これ無くしては、のび太がのび太ではなくなってしまう恐れすらある。テレビアニメ版ののび太ソング「のんきなのび太くん」でも、「のんびり行こうよ〜」は、くり返し歌詞に登場しているほどだ。
しかし、のび太がのんびり生きているのは、別に自分の信条に基づいて、あえてそうしているというわけではなく、素早く行動しようと思っても、どうしても「のろま」になってしまうようだ(「ネジまいてハッスル!」参照)。いずれにせよ、この生き方が今ののび太を作ったのは間違いないだろう。
疑問に思ったことは、あくまで追求する。これは自分自身の向上のためには、大切なことだろう。もちろんのび太とて例外ではない。その結果がドラへのこの質問である。それにしても、漢字によって意味が違ってくるのだから、日本語は難しい。
(追記)
この項目の公開以来、多くの方からご指摘をいただいたのだが、「ヤマタノオロチ」は漢字で書けば「八岐大蛇」
で、「八岐」で八つに分かれている事を意味しているので、ドラえもんが知らなかっただけで、おかしな名前という訳ではない。
こちらは、上記の「ヤマタ」発言とは違った方向性で、世の中の真理を追究する発言である。のび太の満足のゆく答えは、そう簡単には出せないだろう。そう思うと、こちらのほうがより哲学的な問いかけだと言える。もっとも、ドラの「ずいぶんあたりまえのこと」と言う指摘が、一番的を射てはいるのだろうが。
このような発言になると、実につっこみやすい。要するに、のび太の嘘がすぐ見破られるのは、それだけ嘘の付き方がヘタなのだろう。準備時間があるときならまだしも、とっさのうそはスネ夫にはかなわないようだ。ただ、第四章で紹介した発言を見る限り、のび太は決して口べたと言う事はないだろう。
人間一人の死を「絶滅」と表現するあたりが、実にのび太らしい。単に言葉の使い方を知らないだけだと言う可能性もあるが、きっとのび太は、自分がいなくなることを「絶滅」と言うことで、人間一人一人が命の重みを実感し、もっとお互いを大切にするようになるのではないか、と期待したのだろう。そういう事にしておく。
「のび太」と「学問」。およそ世の中で、これほど不釣り合いな組み合わせがあるだろうか。のび太の口から「動物学」などという言葉が出ただけで、十分にインパクトのある言葉である。のび太に学問上の探求心が芽生えたことは、最大級に評価したい。たとえそれが、単にトラとライオンのケンカを見たかっただけであっても。
のび太は作中でほぼ毎回ドラから何か道具を借りており、そしてしばしばその道具の使い方を誤って痛い目にあっている。のび太の偉いところは、ただ痛い目に遭うだけではなくて、それを今後の人生の糧として活かしている点だろう。たとえそれがこのような後ろ向きな考え方でも、その姿勢だけは評価したい。