こんなサイトを作っておいて、あらためて言う事でもないのですが、私は『ドラえもん』と言う漫画が大好きです。それはもちろん、私にとって『ドラえもん』が、とても面白いから漫画だからなのですが、一口に「面白い」と言っても『ドラえもん』ほど作品数が多いと、その面白さも多種多様です。その中で私が特に好きなのは「バカバカしい」話です(念のために断っておきますが、ここで言う「バカバカしい」は、ほめ言葉です)。
子供だけではなく、年のいった人間でも「バカバカしい話だなあ」と面白がる事ができるマンガを描くのは、並大抵のことではありません。その意味で『ドラえもん』は非常に優れた作品であり、やはり藤子・F・不二雄先生は天才であったと思います。もちろん、私は『ドラえもん』は全体的に大好きですから、バカバカしい話以外にも好きな話はたくさんあります。ただ、中でもバカバカしい話が特に好きなのです。
ここでは、私は好きな「バカバカしい話」を多くの人々に知って頂くために、私が今までに読んだ『ドラえもん』短編全作品から選んだ特に好きな10作品を「ドラえもんBEST10」としてご紹介します。10作品を選ぶ基準は、ほぼ「バカバカしさ」の一点にしましたので、作品傾向はかなり偏ったものになっております。
(各作品の解説と感想は、その作品を既読であることを前提に書きました。未読の方のためにあらすじをつけておきましたので、ご覧になりたい方は作品タイトルをクリックして下さい)
いわゆる「ジャイアンの歌もの」の一つ。これまでもジャイアンの歌のすさまじさは数々のエピソードで語られており、そのたびに周りの人達は多大な被害を被っている。これは「ドラえもん」世界のお約束の一つとなっている感もあるが、この「ジャイアン殺人事件」では殺人の道具として疑われるのだから、極めつけと言えるだろう。
私がこの話で最も好きなところは、スネ夫のもっともらしい推理や、それを聞いて真剣に心配しているのび太たちの、冷静に考えるとマヌケすぎる姿だ。「連想式推理虫メガネ」ではなかなかの名探偵ぶりを発揮しているスネ夫なのに、本話や「大予言・地球が滅びる日」での一連の推理(?)は、全く的外れなのが実に不思議だ。それだけジャイアンの歌に対する恐怖で正常な判断力を失っているのかも知れないが。
しかし、いくら宣伝のためとは言えジャイアンの歌を流そうというミュージックスクールの教頭はとんでもない奴だ。宣伝テープのジャイアンの歌を聴いただけで健康被害が続出して、スクールが閉鎖になってもおかしくないだろう。
『ドラえもん』を読んでいて、のび太がドラえもんの道具を使って何か失敗をする場面で「もし自分がのび太だったらこうするのになあ…」と思うことがしばしばある。この話も、小さいときに初めて読んでそう思ったものの一つだ。なぜのび太は元の世界に戻す時に、もしもボックスの中に札束を持ち込まなかったのだろう。それとも、持ち込んでも元に戻る時に消えてしまうのだろうか。そんなことを考えてしまった。
それはともかく、この話のポイントは「価値観の転換」だろう。通常の世界にとっては多く持つことが富の象徴であるはずの「お金」が、のび太の作りだしたこの世界では逆に忌み嫌われ疎まれる存在となっている。これは、我々にとっては理解しがたいが、この世界の住民達は至極当然の事として行動しているので、異様さが際だっている。のび太ならずとも、こんな世界に放りこまれたら間違いなく頭がおかしくなるだろう。
そして、本作品のもう一つの見どころは、そののび太の反応である。特に、最後にのび太が「念のための確認」でなぐられて喜んでいる場面が、実にとぼけたいい味わいを出している。
この話の前半は、「ジャイアンに何かを取り上げられて、それをドラえもんの道具を使ってのび太が取り戻す」という、よくあるパターンになっている。しかし本作品の見どころは、それが解決したあとのオチにある。前半の展開とはまるで関係ない落とし方になっているのだ。しかし、オチをジャイアンと絡めなかったことで、かえって「道具が引き起こす騒動」をうまく描く結果になっていると思う。
はっきり言って、ラストの一コマ前、のび太が星を見て「手が届きそうだ」と言う所で大部分の読者はオチを予測できてしまうだろう。この話が傑作なのは、その「予測できるオチ」そのままに、本当にのび太の部屋に星が現れてしまうところだ。完全に期待通りのバカバカしい展開なのが非常にうれしい。何故ちょうど部屋いっぱいの大きさの星がとれたのか、などの些細な疑問は吹き飛んでいってしまう、インパクトのあるシーンになっている。
そして、ドラえもんの「星なんかとるやつがあるかっ。」の一言。この話は、これにつきる。もう少しほかの言いようがなかったのだろうか。まあ、ないのだろうが。
バカバカしい話が好きな私にとって、この作品はモロに好みの話だ。道具が「自動人形劇」なのに、人形がなくてもこじつけて強引に劇をやってしまうところが素晴らしい。この「強引に話をこじつける」という部分は「おはなしバッジ」などと同系列の展開と言えるが、本作品はこじつけ具合が段違いだ。
本作でこじつけた「さるかにがっせん」のうち、「さる」や「うす」などはまだまともだが、はちが「はちみつの空きびん」に、栗が「くりごはんを火にかけたままわすれてた」になってしまうあたりは、その強引な力技に思わず感動させられてしまう。
大半の読者は、この話を途中まで読んで、道具の機能が「童話とはちょっとちがう」ところに少し不自然さを感じて、「オチはこの機能に絡めたものだろうな」と想像するのではないだろうか。しかし、そこまではわかってもズバリオチを当てられる人はあまりいないと思う。それだけインパクトがあり、なおかつ笑える結末になっている。
この話の最大の疑問点は、最後に出てきた「きれいなジャイアン」は結局何者なのかということだ。泉の中で作られたアンドロイドかもしれないし、もしかしたら泉に落ちたジャイアンの遺伝子をいじって作りだしたクローンなのかもしれない。それとも「あべこべ世界ミラー」をつかって連れてきたパラレルワールドのジャイアンなのか。疑問は尽きない。
まあ、本作ではそんな事を考えるべきではないのだろう。「小学一年生」に載った作品だし、単純に笑うべき作品だと思う。特に「どうする?」と悩むのび太とドラえもんの困惑する顔が最高だ。それにしても、きれいなジャイアンは、歌や料理も上手なんだろうか。やはり、どうしても疑問が尽きることはない。
本話は、『ドラえもん』ではあまり見かけない下ネタオチである。『ドラえもん』の下ネタで思いつくのは、のび太が最後におしっこをもらしてしまう「悪魔のイジワール」や、のび太がメロディーガス(=おなら)で空を飛ぶ「メロディーガス」などがあるが、本作はそれらとは少し毛色が違い、「スネ夫のおしっこを、知らないうちに飲まされてしまった」と言う驚くべき内容である(厳密には「飲んだ」とは少し違うが、間違いなく口に入れているはず。しずちゃんまでが…)。私は、この意外な展開を気に入ってしまったのだ。
最後にスネ夫の「犯罪」が発覚して、ジャイアンは当然としてしずちゃんまでが涙を流しながらスネ夫をボコボコに殴っているのところに、何とも言えない味がある。ついつい本性をあらわしてしまったのだろうか。このような「実は凶暴なしずちゃん」は、「あとからアルバム」や「カチンカチンライト」でも見られるが、これらの作品では描かれていない「実際にしずちゃんが人を殴っているシーン」が見られる点で貴重な話だ。
※「ドラえもん プラス」では「サウンドカメラ」と改題
第4位ともなると、BEST10選考の基準である「バカバカしさ」の度合いがかなり強くなってきている。まずは「表をドラやきが通っていった」との言葉にあっさりだまされ、一度外へ出てから「ドラやきが通るわけないぞ」と怒るドラえもんがいい。一種のお約束パターンで、「ハメルンチャルメラ」でもほぼ同様の場面が出てくるが、こちらはのび太が「表をドラやきが通っていった」と言うそぶりが実にわざとらしくて大げさである。それに対して本作品では「さりげなく窓の外を見て」口に出すところがいい。ドラえもんも、それにつり込まれて「ついだまされてしまう」のが自然に描かれている。
そして、たかだか飛行機と潜水艦と戦車(のキャタピラ)の能力を身に付けた程度で「これで怪獣と戦えるぞ」と、思いっきり勘違いしているのび太も素晴らしい。これならまだ「フクロマンスーツ」や「スーパーダンごっこふろしき」のほうがましだと思う。
極め付けは、ラストの「貝が十で怪獣」で決まり。ジャイアンの頭脳的(?)作戦が見事に成功している。前半ではまんまとドラをだましたのび太が今度はジャイアンにだまされており、好対照となっている。これだけ自分好みのネタが揃った作品は実に珍しい。
『ドラえもん』の特徴の一つとして、「登場人物の、異常事態に対する妙な冷静さ」を挙げる事が出来る。要するに、みんな変なことが起こってもあまり驚かず、それどころか淡々と対処するという事だ。この傾向は、作品世界中で「22世紀のネコ型ロボット、ドラえもん」の存在がすっかり認知された中期以降において顕著に現れている。不思議な事件が起こっても「どうせまたドラえもんの道具のせいだろう」と判断して、驚かなくなってしまっていると言うわけだ。
前置きが長くなったが、本話のラストもそのパターンの典型的なものの一つであり、それがとぼけたいい味わいを出している。何しろジャイアンが空のかなたに「屁」で飛んでいってるのに「すごい性能だねえ」で終わってしまうのだから。惚けたような、何とも言えないのび太とスネ夫の表情も必見。これだけでも十分なのだが、他にも「グレードアップしたマンガを読んで笑い転げるしずちゃん」なども普段見られない姿で面白い。
実は、私が最も欲しいドラえもんの道具の一つは、本話に登場する「はなバルーン」である。しかし、この「ドラえもんBEST10」では「はなバルーン」は第1位ではなく、2位とした。理由は後述する。いずれにしろ1位と2位とはわずかの差で、両方とも極めて好きな作品には違いない。
さて、私が「はなバルーン」をなぜ欲しいかと言うと、この道具にただならぬ魅力を感じてしまうからだ。要するに、ぜひ自分で使ってみたいのだ。のび太は、はなバルーンを使って空を飛んだり飛行船を作ったりしているが、その様子が本当に楽しそうでうらやましい。この「道具を使って楽しく遊ぶ姿」は、特に低学年向け「ドラえもん」の大きな魅力だ。「小学一年生」「小学二年生」掲載作品で描かれる「遊び」は、どれも本当に楽しそうで、ついつい自分も一緒に遊びたくなるものばかりだ。その中でも「はなバルーン」で描かれた「遊び」が、私にとって一番のお気に入りだ。
そして、本話が「BEST10」の第1位でない理由もここにある。「BEST10」の他の作品は全て「バカバカしさ」を選考基準に選んだのだが、この「はなバルーン」に限っては、それ以外に「道具に対するあこがれ」が入っているのだ。もし「どこでもドア」か「はなバルーン」かどちらかをおまえにやろうと言われたら、間違いなく私は「はなバルーン」の方を選ぶだろう。「タイムマシン」との二者択一でも「はなバルーン」をとるかもしれない。私はそれほど「はなバルーン」に憧れているのだ。それに対し、後で紹介する第1位作品は純粋に「バカバカしさ」で一番好きな作品であり、そこが1位と2位のわずかな差となった。
とは言え、「はなバルーン」はバカバカしさの面でも十分注目に値する作品だ。鼻ちょうちんを思わせる使用方法はとても人には見せられたものではない格好悪さなのに、ムキになって欲しがるジャイアン・スネ夫の姿は実に笑える。本話に限らず、彼らはただ「ドラえもんの道具」と言うだけでのび太から取り上げようとする事があるが、用途についてはあまり考えていないようだ。
「ドラえもんBEST10」堂々の第1位は、非常に知名度が低いでと思われるこの話。「ドラえもん プラス」に収録されたから、多少は知られるようになったかもしれない。前述のように、第2位の「はなバルーン」は道具と話への思い入れから大好きになったのに対し、この作品は純粋に「バカバカしさ」の強さで気に入った。その点で、まさに第1位にふさわしいと言える。
まず、道具の設定がいかにもバカバカしい。使うとものすごい勢いで飛んでいくので一見便利に思えるが、「タケコプター」や「どこでもドア」と比べると、この道具は人にくしゃみをさせてその勢いで目的地まで飛んでいくので、くしゃみをさせられる人にとっては迷惑この上ない。しかも、一度飛び出したら途中で方向転換はできないので、空中に障害物があった場合のことを考えると恐ろしい。冷静に考えると非常に使いにくい道具だろう。
そして、異様なまでに、ばくはつこしょうへの執着心を見せ、「どうしてもあれがほしいぞ。」とまで言ってしまうジャイアンがいい。彼の執念なくしてはこの話は成立しなかっただろう。しかし、そこまでして欲しがる価値のある道具かと考えると、やはり彼の行動もかなりバカバカしいものに見える。第2位の見どころでも述べたが、彼らはもう少しどんな道具か調べてから略奪行為に出た方がいいのと思う。
極め付けはラストシーン。家族でくしゃみしたらちゃぶ台が飛んでいってしまうとは…。泣き付いてくるジャイアンに「行きさきをいわなかったのが、まずかった。」と言うドラえもんの、目を丸くした表情が実にいい。個人的に『ドラえもん』全作品中で最も印象的な場面である。私は、ドラえもんの表情の中で、この「驚き顔」が一番好きなのだ。
このように、「ばくはつこしょう」という作品は、私の気に入る要素ばかりが集まって出来ている。初めて読んでからもう20年近くになるが、何度となく読み返して、そのたびに一人で笑っている。
以上、これで1位まで全て紹介し終わりました。いかがだったでしょうか。どんな話が好きか、好みは人によって違います。これは、あくまで私にとってのBEST10なので、「なぜ「○○」は入っていないんだろう」などとお気になさらないで下さい。
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